今日は英語について書いてみようと思う。
インドに来て半年が経った。日々の業務での同僚・上司とのやり取りはすべて英語のため、必然的に僕の英語能力は向上していると思う。
試験を受けていないからなんともいえないんだけど、主観的なエピソードでいいなら変化は以下こんな感じ。
ちなみに僕のもともとの英語力だが、TOEICを指標とするならばインドに来る直前のスコアが820だった。820っていうスコアが高いのか低いのかは人によるけど、少なくともインドに来てすぐの頃の自分は、ろくに英語を使えていなかったと思う。
僕の上司のインド人は、「君と初めて会った時には、『なんと英語のできないインターン生が来たもんだ』って絶望したけど、今は歴代のインターン生とくらべても一番うまいんじゃない?」と言っている。…うん、まあ、リップサービスかもしれないけど。
とにかく、英語については僕はかなりできるようになった。
「英語圏に長期滞在しなくても英語が身に付く!」みたいな話があるけど、僕はむしろ「長期滞在くらいで英語が身に付くならやればいいんじゃない?」って思う。いろんな世界を見ながら、勉強や仕事をしながら英語の能力を上げられるなんて、めっちゃいいじゃないって思う。
…と、ここまであたかも「英語力」なるものが最初から存在しているかのように僕はふるまってきたけど、本当はまず考えなきゃいけないことがある。
英語力ってなんですか?
簡単だ。英語を読めて書けて聴けて話せて…それが一通りできれば、英語力はあると言っていいんじゃないか。
うん、そうだね。じゃあ、英語力はなんのために鍛えなきゃいけないんですかね?
それも簡単。もはや陳腐すぎて口に出すのに嫌悪感すら感じられる「グローバル化」という現象の中で生き残るために、英語は必須だからだ。代替可能、コモディティな人間になってはいけないのだ。
なるほど。確かに英語を話せたら、西暦2026年の日本で、こんな感じに何の希望もなく暮らすはめに陥ることはないかもしれない。
しかし、「とにかく英語やっときゃいいよね」と安易に英語ばかり勉強していても、何者にもなれずに人生が終わってしまうのではないだろうか。僕はそんな恐れを抱いている。
「英語を勉強する」ということについて安易に考えてはいけないと言う理由は二つある。
一つは、日本人がもともと英語学習を苦手としているから。
もう一つは、英語は何かを「伝える」ための力だから。
1、日本人がもともと英語学習を苦手としていること。
この英語話者に対する言語習得難易度表の記事にあるように、アメリカのかなり優秀な人たちにとっても日本語は他の言語に比べてなお難攻不落の言語だとされているが、ごく単純に立場を逆転させてみれば、僕ら日本人にとっても英語を学習することはかなりしんどいことだと理解できるだろう。
これは僕がインドに来て感じたことであるが、幼少期を英語圏で過ごしたのでもない限り、日本人が英語をネイティブなみにできるようになるには、途方もない努力が必要である。
たとえばインド人たちと会話していると、彼らは自分の言いたいことをぺらぺらと話す。僕はそれに対して答えるのだが、明らかに言葉の出が遅いし、また言いたいことのうち80%くらいしか表現できていないと感じる。
つまり日本人は、英語を勉強するのには向いていないのだ。パワプロで言えばサクセスの初期状態で特殊能力にセンス×がついているようなものだ。そこから英語の能力を一定以上高めるには、かなりの努力が必要なのだ。
アジア圏を中心として、すでに英語を身に付けた安い労働力がわんさか渦巻いている。インドでは安い人件費で英語を話せる人間が雇えたため欧米企業のコールセンターが作られ、それが経済成長の一因となってきた(インドでも人件費が高くなったというので、コールセンターは次第に撤退しているらしいけど)。そういう人たちに、あなたは日本人に不向きな英語を勉強して英語の能力で勝てるんですか?っていう話になる。
なおこのあたりの世界の状況を知るには、鉄板だけど以下の本がおすすめだ。
- 作者: トーマスフリードマン,伏見威蕃
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2、英語は何かを伝えるための力だということ。
たとえば僕のインターンでの業務内容を挙げてみよう。
何度か記事で書いてもいるが、僕のインターン先のインド企業は、日系企業の駐在員の方を中心に、不動産を仲介したり、車を貸したり、ビザの手続きを代行したりといったサービスを提供している。
特に僕がよく関わっているのが不動産仲介のサービスである。
インドの不動産の仕組みはなかなか複雑かつunbelieavableで、日本の常識では考えられないようなことが平気で起こる。たとえば家主がいったんこれこれの家賃で家具付きのアパートを貸しますよと言ったくせに、後になってやっぱり家具は揃えられない、揃えてほしいならもっと家賃を出せ、などと言ってきたりする。
そういったイレギュラーな事態に、僕は家主と渡り合って元のさやにおさめるという芸当ができない。まさに、英語ができても、英語を使って伝えられるだけの何か(ここでは交渉術とでも言おうか)がなければどうにもならないことの好例だ。
通訳や翻訳家といった英語のプロ中のプロを目指すのでもない限り、英語力「だけ」を鍛えても、あなたは何者にもなれやしないだろう。そしてそういったプロ職を目指すには、気の遠くなるくらいの努力が必要だ。
「英語力」を測るための試験は日本では豊富に用意されていて、あたかも英語力はそれだけで一つの独立した能力のように思える。だけど、英語力というのは何かを「伝える」ための力なのだ。その何かがなければ、いくら英語を鍛えても何にもならない。めちゃくちゃ歌が下手な人が、めちゃくちゃ性能の良いマイクを使ってもどうしようもないのと同じように。
と上で述べたように、英語だけ勉強してもグローバル化する世界の中で生き残るどころか、アジアの活気ある若者たちにすら負ける可能性は高い。
もはや日本人が日本人というだけでリッチな生活を謳歌できる時代は終わった。それは多くの人が言っていることだけれど、インドに来て改めて実感している。そして、英語だけ生半可に鍛えたところで、たぶん何にもなりはしないのだろうなということも。
じゃあどうすりゃいいんだ、っていうことだけど。僕がそれに今答えられるのであれば、こんなボロいフラットでゴキブリやネズミと一緒に暮らしたりしていない。だけど、方向性はなんとなく見えている。
自分のやるべきこと、やりたいことに英語はどれくらい必要なのかを考え、その必要量に応じて英語を勉強する傍ら、自分が武器とするものを同時並行でしっかり磨いておくことだ。
たとえば僕は将来、外国の人たちと対談ができたらいいなぁなんて考えている。
僕がさし飲み対談と称していろんな人たちとお酒を飲みながら話をしてきたことはすでにどこかの記事で書いたけれども、それを外国人ともやってみようということだ。
ただしそれには、現状の英語力をもっとパワーアップさせる必要がある。
もちろん今の段階でも「あなたの好きなことは何ですか?」とか、「あなたの夢を教えてください」って聞くことはできる。ただ、それはただのインタビューだ。対談っていうのはインタビューと違う「生きた会話」なのだ。何時間というまとまった時間の中で相手とさまざまなことを話しているうちに不意に立ち現われてくる相手の像みたいなものがあって、そこに向かって目いっぱい具体的な質問を投じる。タイミングと想像力がめちゃくちゃ重要になってくるのだ。細切れになったテンプレの質問では、相手の価値観を深くまで掘り下げることはできない。
なんだろう、すごく直感的に言えば、ピッチャーが何度もきわどいコースをついてバッターの体勢を崩しておいて、最後にど真ん中のストレートで勝負する、みたいな感じだろうか。(野球の比喩がよく出てくるかもしれないけど、実は元野球部なので勘弁してください。)
対談について語るとそれだけで記事が書けちゃうのでこのへんにしておくけれども、とにかく僕の場合、「外国人との対談」のために「より高い英語力」が必要になる、ってことだ。
自分のやりたいことは何かを考えるのはすごく難しいけれども、以前「違うタイプの人に、価値観まで破壊される必要はない」でも書いたように、とにかく興味を持ったことに取り組んでみることだ。必ず、なんらかの手掛かりが見つかるから。
次に英語以外に武器とするものの話。
さっきインドの不動産がいかに不条理かっていう例を出したけれど、僕にもっと知識と経験があれば、あの手この手で家主を言いくるめ、彼を納得させることができるだろう。たとえば「この借主は大企業の駐在員だから、彼がインドを去った後も別の借主が見込めるよ」と家主の欲求をくすぐってやるとか、「急に意見を変えるなんてルール違反だろう。もうお前にはビジネスを紹介しないぞ」と脅すとか、いろんな手が考えられる。
それは、英語とは直接関係のない力だ。だけどそういう「不動産業界での知識と経験をひっくるめた交渉術」みたいなものがあれば、英語ができるだけでなく、他に代替するのが難しい人間として、世界で戦っていける。
「英語を勉強しなくちゃ」っていう気持ちはよくわかるけれども、英語よりも先に、自分の武器を決めておかなくちゃならないんじゃないかっていう話だ。
どんなものを武器にしたらいいかを考えるとなかなか難しいけれども、ヒントになりそうな本を挙げておく。
- 作者: ダニエル・ピンク,大前研一
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2006/05/08
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この本は大前研一氏によって翻訳がなされていて、著者は他にも有名な本を出しているダニエル・ピンク。著者は、これからの時代には左脳だけでなく右脳を鍛えることが重要だとし、デザイン、物語、全体の調和、共感、遊び心、生きがいが大切になってくると説く。詳しいことは読んでみてください。
ちなみに、左脳によって司られているものの代表が、言語。ここからも、英語だけを鍛えることはナンセンスだということがわかるだろう。左脳によってできることは、機械で代替できることが多い。極端なことを言えば、完璧な自動通訳機がいまにもできるかもしれないのだ。英語を勉強する加減は、きちんと考えなければいけないだろう。
同じようなことが、この本でも述べられている。
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1986/04/24
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グライダー人間ではなく自ら飛翔できる飛行機人間に、なりたいところである。この本は軽いので、すぐに読めるだろう。
また、最近話題になった本としては、僕も以前講義を受けた京大の瀧本哲史氏による以下の本がある。コモディティ(代替可能)とならないためにはどうすればよいのか、それについて書いた本である。
- 作者: 瀧本哲史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/22
- メディア: 単行本
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どれも定評のある本で個人的に間違いないと思われるので、おすすめである。
ちなみに、最終的にはやりたいことと武器っていうのが一緒になってくるのが理想だと思っている。
僕だったら、他の誰にも真似できないようなおもしろい話を引き出せる人間になる、とか。
結局のところ、代替不可能な人間になるっていうのは、自分というブランドだけでメシを食っていけるということだ。たとえばスカイプで相談に乗る代わりにお金もらいますよっていうことをやっている人もいる。これなんか、このelm200氏だからこそ相談するっていう人がいるわけで、誰にも彼の代わりはできない。素晴らしいと思う。
「自分だから」お金を出してモノやサービスを買ってくれる人がいる。そんな人になることが、これからの世界における究極的な目標になるだろう。
グローバル化だ、全世界との競争だと浮足立つのはまだしも、就活で勝ち残るためにTOEICを勉強するなどというのは、近視眼的はなはだしい。もっと遠く、広く、そしてすぐそばにある自分というものの特性を考慮しつつ、何をなすべきかを考えていきたい。
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