Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

僕は人や世を変えることに興味ないんだ。

僕は現在、数人の仲間たちとウェブサイトを準備中だ。

詳しいことはまだ決まっていないけれど、今年の夏、僕が帰国してから本格的に始動させようと思っている。大学生活の集大成としてのウェブサイトだ。

(追記:いろいろあってこのウェブサイトは更新を停止しました。応援ありがとうございました。)



いろんな人の人生を掘り下げる、対談コンテンツを作る。



このウェブサイトの理念だけれども、二つある。

「僕たち運営者がおもしろいと思ったことを、できる限り損なわれていない形で、発信していくこと」

「読んだ人に、自分がおもしろいと思ったことをやればいいんだ、と思ってもらえること」

今日は、この二つの理念を掲げるまでに僕が辿ってきた道について書こうと思う。



自分が何かを始める時、シンプルに「こういうことを世の中に訴えたいんです!」っていうメッセージを出せたら。そんなことを、ここ2年くらいずっと考えていた。

大学時代、かなり好き勝手していろいろ経験させてもらったけれども、僕はどうやら世の中の至らない部分に不満を持って変えていこうとするよりも、世の中のおもしろい部分を見つけ出して楽しむ方が性に合っているみたいだということが、なんとなくわかってきていた。

だからこそ葛藤があった。

ウェブサイトに限らず、何かを媒体として自分のやりたいことを発信していくというのは、要するに何か訴えたいものがあるということ。もっと言えば、世の中を少しでも変えたいって思ってるっていうことだ。

僕には「発信したい!」っていう気持ちはずっとあったのだけれど、じゃあ発信することを通して世の中の何を変えたいのかっていう問いになると、考え込んでしまうのだった。単純に「おもしろいもの」を発信、共有したい。それだけじゃ、何かを発信する理由には不十分だろうって思っていたから。



僕が、自分のサイトにおけるメッセージにここまでこだわっていたのには、理由がある。

僕が大学2年の時に取り組んだ、小さな企業でのインターン

ネットショップを立ち上げるという業務を任せてもらい、どんな名前で、どんなメリットがあって、どんな人に届かせたい商品なのかということを、何度も何度も考えさせられた。

その時に社長から一番よく聞かれたのが、「その商品を僕らが売る理由はなんですか」という問いだった。

世の中に、同じような商品を売っている企業はごまんとある。極端な話、機能や外観がほとんど同じものもたくさんある。じゃあ何が違うのかって言ったら、「誰に何を届けたいと思ってそれを作ったか」の違いでしかあり得ない。その結果として同じような商品を売ることは、(戦略的にまずいことは別にして)あり得ることだ。

就職活動において「御社の理念に共感して・・・」という志望動機はあまりにも安直だと批判されることが多いけれども、理念こそがその企業の存在意義なのだと、僕は理解している。

それをインターンの時に学んだからこそ、自分がやっていることの意義について、僕はずっと悩んできた。何を世の中に伝えたいのか。その主張がないのならば、どれだけアクセス数のあるサイトを作ったところで無意味ではないかと。ブログやサイトを作っては消ししてきたのも、その葛藤があったからだった。僕が世の中に伝えたいメッセージは何か。それをずっと考えていた。



ところで、いくらメッセージ性を強調しても、自分がそのメッセージにしたがって生きていないのならば、それを続けて何らかの結果を出すことは困難である。

これは、僕がさっき書いたインターンの中で学んだもう一つのことと合致する。

「自分が本当に好きなことでなければ、何もうまくいかない」

インターン中、僕は社長から「君も含め、社員全員がその商品を好きだと言わなければ、売ってはいけない」というルールを課せられ、あーでもないこーでもないと思考錯誤し、結局半ば強行という形で売りに出したものの、商品は一つしか売れなかった。

失敗の原因はいろいろあるけれど、それらはすべて「僕がその商品を好きではなかったから」ということに集約される。もちろん、じゃあ僕がその商品を好きだったら売れていたのかと言えばそれはわからないけれども、それでもなお失敗した原因を考えることはできるだろう。

好きなことでなければ成功しないというのはただの精神論のように聴こえるかもしれない。だけど、今から自分が売ろうとするものを愛しているかどうかということは、商品を手に営業する時にどれだけ情熱を持って売り込めるかとか、そのものの良さをきちんと伝えられるようなキャッチコピーをどれだけ真剣に考えられるかとか、そういうことに確実に影響してくる。

インターンの時にそう学んだはずだったのに、僕は学園祭で好きなものを売って成功するはずが大赤字を出し(この話は今度書こう)、ブログを書いては消し、本当に好きなことをするということを、なかなかできないまま過ごしてきた。



僕が好きなことは、自分にとって「おもしろい!」と思えるものを知ることだ。

「おもしろい」という言葉の意味であるが、僕にとっては「どうしてそうなっているのかがはっきりしている」ということとイコールである。

たとえば僕が所属している理学部という学部は、「どうしてそうなるのか」をとことん考えていく学部である。そこには、世の中の役に立つ技術を開発したいという気持ちはほとんどない。単純に、この物質の構造はどうなっているのか、この生物はなぜこのような振る舞いをするのか、それを知りたいという欲求に突き動かされ、研究しているだけなのだ。

僕は勉強をまじめにやらなかった不届きな学生だけれど、こういう理学部的精神は存分に持っていると自負している。

だから僕がやりたいのは、「ある人の人生を描き出す対談」なのだ。この人は、子どもの頃からこんな生活を送り、こんなきっかけがあって、今に至る。そんなエピソードをとにかく知りたい。そのテーマが生物とか宇宙ではなく、人間であるだけだ。

(実際の対談のやり方としては、「なんで?なんで?」と問うようなマネは僕はしない。コーチングなどの分野でよく言われていることだけど、「なぜ?」という問いは相手に圧迫的な印象を与える。もっとのんびり、いろんな角度から、その人の人生を掘り下げていくことを目指している。このへんは実際に対談コンテンツを見れば、わかってもらえると思う。)



そう、僕の好きなものはこれだって、薄々感じてはいた。

しかし冒頭にも書いたが、これって要は「おもしろいと思うものを発信したい」っていうだけなのだ。

People Interestというサイトを2011年の7月から運営し始めてからも、自分のやりたいことと、あるべき姿との狭間で、悩み続けていた。

そして僕は、あるべき姿の方を捨てることにした。



僕がおもしろいと思う気持ちに忠実に、いろんな人の人生が垣間見えるような対談を、その情熱が失われないよう最大限の注意を払って発信していこう。それだけでもう、かまわない。

たとえ世界に訴えたいメッセージなんてなくても、それが自分だ。それでいいじゃない。



そして、僕のこれまでの葛藤をもとに、もう一つの理念が立ち現われてくる。

「いろんな人生があるということをこのサイトを通して知った結果として、自分がおもしろいと思ったことをやればいいんだと思ってもらうこと」

これは、自分が何をしたいのか悩み続けていたあの頃の僕に届けたいメッセージでもある。

世の中には、立派なことをしている人、世の中を変えようと日々奮闘している人がたくさんいる。そういう人たちは、僕が大学生活をかけて悩み、ついに手にすることができなかった「世の中に訴えたいこと」を、実にはっきりと持っていたりする。

かつて僕は学生団体というものを、ものすごくうらやましく思っていた。別に自分がそこに所属したかったからではない。僕と同じ学生という立場でありながら、「人を変えたい」「世の中を変えたい」というメッセージを持って活動できているところを、僕はすごいと思っていたのだ。僕もそうあったらと、何度思ったかわからない。

だけどもういいのだ。自分は自分だ。

呪縛を解き放つ。訴えたいもの、「世の中をこう変える!」という熱いメッセージなど自分の中にはないことを、にやりと笑って受け入れる。

そこから始まるような気がしている。



実を言うと、この記事で何度も出てきているインターンで、僕は似たようなことを学んでいた。

「キャッチコピーにしてもプレスリリースにしても、メッセージは漠然と投げかけるのではなく、誰か具体的な知人の一人を思い浮かべながら考えろ」

20代の女性に売れるように…とか、学生に届くように…とか、そんなふうに顔の見えない人に対して考えられたメッセージは、広く届くように思えて誰にも届かない。

逆に、そのメッセージを投げかけたら人ごみの中でもその対象となる人が必ず振り返るくらい具体的なメッセージの方が、実は効果的なんですよ、ということだ。(「休学してインドでインターンをしている、読書と音楽が大好きな理学部の学生」とかね。)

そして、究極的にはその思い浮かべる人が「自分自身」であってもかまわないと僕は思う。

人間が一人ひとり考えていることは、そんなに特別なことではない。中学生の時とか、自分は特別だって思ったりしていたけど(中二病、というやつだろう)、人の価値観なんてかなり似ている。僕はいろんな人とさし飲み対談をして、それを知った。

それを逆手に取るのだ。自分の思うところを、勇気を出してさらけ出す。必ず共感してくれる人が、いるはずだ。



もしかすると、僕のような人は多いんじゃないかな。

何か変わったこと、普通ではないことを人生でやってみたい、だけど世の中に訴えるに値する社会的なメッセージが見つからない…。

僕はそういう人の気持ちが、本当によくわかる。

夢は叶えるものだ、イメージしろ、お前にもきっとできる…そんな言葉は、「できた人」だからこそ言えるものなのだ。

僕は自分が何を世の中に伝えたいのかをずっと考えて、試行錯誤して、大学生活を送ってきた。でもわからなかった。自分が人生を賭けてこういうふうに世の中を変えたいっていうものがついぞ見当たらなかった。

それならそれで、かまわないじゃん。

それを、僕と同じ気持ちでいる人たちに、伝えたいのだ。

全員が、世の中を変える立派な人になる必要などないことを。



僕がこれから作るのは自己満足のサイト。それはもう痛いほどわかっている。嫌う人、合わない人は必ず出てくるだろう。

前に「嫌われるコンテンツを作って、嫌われて生きよう。さもなきゃ無視されるだけだ。」でも書いたけれど、それでいいのだ。嫌われることは、どれだけ自分の欲求を忠実にぶつけているかの裏返しなのだ。

だからせめて、自分のおもしろいと思うものが最大限伝わるよう、精いっぱい考えたい。

同じ方を向いておもしろいものを作ろうと言ってくれる人たちとともに。



人や世の中を変えることに興味なんてない。

僕にとっては、これを宣言するのはとても勇気のいることだったけど、自分の欲求を信じて、これからを生きたい。

そう、それでかまわないんだ。



※この記事から2年経って書いた記事です。よかったらどうぞ。

「人や社会の役に立ちたい」という気持ちを、どうしても持てない人へ。