Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

'デミアン' - ヘルマン・ヘッセ / 「自分の進む道に確信を持っている人」なんていない。

今「デミアン」という小説を読んでいるが、そこにこんな一節が出てくる。

ほかの人たちのすることは、私にもなんでもできた。わずかの勉強と努力でプラトンを読むことも、三角の問題を解くことも、化学の分析にくっついて行くこともできた。ただ一つのことだけができなかった。それは私のうちに暗く隠れている目標を摘出して、どこか自分の前に描き出すことだった。ほかのものたちは、自分は教授、あるいは判事、医者あるいは芸術家になるのだということを、またそれにはどのくらいかかるか、どんな得があるかということを、はっきり知っていたが、それは私にはできなかった。

ちなみにこの「デミアン」という本は、「車輪の下」で有名なヘルマン・ヘッセの作品である。「車輪の下」が、悲しみを多分に含みつつも一人の少年の青春時代を描いた切なく美しい物語だとしたならば、「デミアン」はきれいごとだけでなく荒々しい人間の業や欲望というものを引きずり出して描いた作品だ。いずれにせよ、100年近く前に描かれた物語なのに「すっげーわかる!」と思える、素晴らしい作品である。

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

さて上に引用した部分であるが、おそらく大学に入学したての5年前の僕であれば、「そうそう、本当にそうなんだよ。ヘッセもおんなじようなことに苦しんでいたんだなぁ」と共感し、それで終わったはずだ。

しかし、今の僕はこの部分に共感しつつもこう思う。

「周りの人たちはみんなやるべきことをわかっていて自分だけが途方に暮れている」状態というのは、自分の経験不足や無知から来る錯覚に過ぎない、と。

今日はそのことについて書こうと思う。



僕は自分の進路がぶれまくった人間だ。

研究者になろうと思って理学部に入り、サイエンスライターに興味を持ち、その次は起業家を目指し、経営コンサルティングがやりたくなり、インドで不動産のインターンを1年やったあげく、広告会社に就職しようとしている。

およそ具体的な職業の名前で挙げられるような揺るがぬ「夢」を、僕は一度たりとも持てたことがない。

そこで目を転じて友人知人を見渡せば、ヘッセがここで”自分は教授、あるいは判事、医者あるいは芸術家になるのだ”と描写しているタイプの人、自分の進むべき道を既に確信しているタイプの人たちばかりだった。

かくして、僕もそのような確信に満ちた人たちにあやかりたいと思い、2人でお酒を飲んで話す「さし飲み対談」を通して、自分の進むべき道を確信できるようになろうと考えたのだった。



しかし、「さし飲み対談」をやってわかったのは、「進むべき道を確信している人」なんてのはどこにもいなくて、ただ「自分が納得できる進路を選びたい」という思いの強さに個人差があるだけだ、ということだった。

これでノーベル賞を取りたいと心底思えるようなテーマがあって研究者になるんだろうな、と思っていた大学院の先輩は「民間も公務員も向いていなさそうだし、好きなことをやっていたいだけ」と言った。

最初の大学で仮面浪人し志望校に合格した友人はよほど内に秘めたものがあったのかと思いきや、「なんとなくそうしたかったから」と言った。

ギターが好きで趣味としてそれを弾き続けたいという友人は「生きていくためにはお金が必要だけどギターを弾くための時間も欲しいから、メーカーの研究職とかでまったりしたい」と言った。

「消去法」とか「直感」とか「現実性」とか、そういった、僕にしてはネガティブに感じる、あるいはぼんやりとした理由で進路を選んでる人ばかりだった。

そこで僕が思ったのは、自分は「納得できる進路を選びたい」という気持ちが他の人に比べて強いのだということだ。その頃の僕にとっては理解しがたいことだったが、僕以外の多くの人にとっては、なんとなくとか、成り行きでとか、それしかないからとか、そういった理由で進路を選ぶことは、実に自然なのだ。

どちらが偉いというわけではまったくない。

ただ、僕のように「納得感」をあまりに自分の選択に求めてしまう人にとっては、そうではない人々もいるし、別に無理やり納得させる必要もないと知ることは、自分を救ってくれると思う。

とにかく言いたいことは、「周りの人は納得のいく人生を送っていて、俺はどうすればいいのかわからない」と勝手に思い込むのはやめろ、ということだ。みんなそれなりに悩んで進路を決めている。しかし、決めるために必要な悩みの総量が、人によって異なるということだ。



僕がインドに海外インターンに行ってみようと思ったのは、一度そうした「なんとなしの」選択をしてみて自分がどうなるかという、人体実験的な理由からだった。

それからいろんなことがあって、広告会社に就職することに決めた。

人生は収まるところに収まるようになっているのかもしれない。僕は運命があらかじめ決まっているとは思わないけど、それとはまた、別の意味で。



進路を選ぶ時に自分をどのくらい納得させる必要があるのかを知ろう。

それほど納得を必要とせずに進路を選んでいる人もいるということを知ろう。

一番大切なことは、納得できる進路を選ぶことではなく、選んだ道を正解にすることだ。

久しぶりに「デミアン」を読んで、そんなことを思った。