働きはじめて改めて感じた、海外インターンに行くべき理由。
入社して2カ月。
真っ暗闇の中を手さぐりで歩いていることには変わりないが、少しだけ暗さに目が慣れてきた。そんな感じだろうか。
その中で、インドの地獄のようなインターンで学んだことが、いかに僕の日々の業務への向き合い方に役立っているかを痛感したので、今日はそのことを書こうと思う。
海外インターンに行くべき理由は、英語が身につくからでも、裁量の大きい仕事を任せてもらえるからでもない。
それは、「いかにクライアントの期待の度合いを適正なレベルに持って行くか」を、本当に死ぬ気で考えるようになるからだ。
これは、クライアントの存在するあらゆるビジネスにおいて、必要不可欠となる姿勢である。
なぜ、海外インターンにおいて「期待度を適正にする」姿勢が身につくのかということを説明しよう。
海外の企業が、突出したスキルなど何も持たない日本人の学生を海外インターンとして雇う理由は、一つしかない。
日本語が話せて、英語が少しわかるからだ。
日本人の学生は、日本語のネイティブスピーカーであることを買われて、インターンとして雇われる。
多くの場合、同じ日本人である駐在員に対する営業マンとしての仕事を、インターンで任されることになるだろう。
ここで、インターン生は日本人クライアントから高い期待を寄せられる。
駐在員の方は現地でいろいろと苦労をしている。「同じ日本人だから、日本人の求めるサービスのレベルはわかっているよね」と考えるのは、きわめて日本人的な「普通の」思考だろう。
しかし、日本と外国とでは、あらゆる意味で常識がまったく違う。多くの場合、日本のサービス業の「常識」はレベルが高すぎる。
かくして、海外インターンにおいては、日本人の学生が「クライアントの期待と現実のギャップ」に苦しむという構図が、きわめて普遍的に見られるのだ。
具体的に説明しよう。
僕がインドで働いていたのは、日系企業の駐在員をターゲットにした何でも屋的な会社だった。アパートの紹介やビザの手続き代行、レンタカーの手配、観光ガイド…それこそなんでもありだった。
僕はその中でも、アパートの紹介の仕事をたくさん受け持っていた。
駐在員の方が住むような高級アパートを紹介し、家主と交渉して契約を結び、家具や家電を手配して住めるような状態まで持って行く…というのが、僕の仕事だった。
大学生ではあったけれども、僕はクライアントからかなり期待していただいていたと思う。
その理由としては、「日本人が働いているインドの不動産屋」が珍しく、「日本人がいるなら信頼できる」と思っていただけたことや、多くの駐在員の方より僕の方が英語ができたこと(なにしろあの恐ろしいインド英語に24時間晒されているのだから)、スラムに住みオートリキシャを乗り回しているうちにローカルの情報通になっていたことなどが挙げられるだろう。
「はじめくん、この前不動産を紹介してもらった会社はひどかったけど、今回は君の会社だし、期待しているよ!」
そんな言葉を、何度かけていただいたかしれない。
最初の頃、僕は期待してもらっていることがとても嬉しく、「ご期待に添えるようがんばります」などと明るく返していたものだった。
数ヵ月後に地獄を見ることなど、知りもせずに。
不動産仲介における地獄は、契約書を締結したところからはじまる。
物件を紹介し、契約を結ぶところまでは、なんてことはない。不動産屋(僕)が大家さんに電話して、クライアントを物件まで案内して、気に入れば大家さんにこちらの条件を伝えて、合意に至れば契約書を書く。日本の場合と、なんら変わらない。
しかし、契約を結び、内部の清掃や家具・家電の手配の段階になると、「日本ではありえない」レベルのミスが頻発する。
僕の経験上、搬入予定日に家具が揃ったことは一度もなかった。遅れるという電話すらしてこない。「なんでベッドが届いてないんだ!」と電話口で激怒すると、「ボス(彼らはよく「ボス」という言葉を使う)、そのベッドは人気があって在庫を切らしているんだ。代わりの奴じゃダメかい?」などと臆面も無く言う。
あるいは、「掃除が終わったぞ」と言うからクライアントを部屋に通してみれば、ハトのフンだらけ、埃だらけの部屋にクライアントは言葉も出ない、といったことは枚挙にいとまがない。
「本気で仕事してるの?こっちは学生とは違ってちゃんと仕事してるんだよ」
「まだベッドが届かなくて引っ越しできないって、今日ホテルの予約切れちゃうんだけど、延長したらホテル代払ってくれるの?」
「今日僕がここで無駄にした時間が、どれだけ会社の損失になっているか知ってる?君、責任取れる?」
そんな言葉をぶつけられたことは、数知れない。
クソ、俺だって死ぬ気でやってるんだ、そんなに言うならそっちがやってみろ―。そんな言葉を飲み込み、「本当に申し訳ありません」と頭を下げるのが、精一杯だった。
僕には何もできなかった。家具や家電の配達人や、部屋の清掃人は、インドでいう低カーストの人たちだ。英語はほとんどわからないし、場合によってはヒンディー語もできない。
彼らの「インド流常識」を覆せるほどの力は、僕にはなかった。
だからせめて、「クライアントに期待させすぎない」ことだけを心がけた。
インド人の上司がいかにもインド的なスマイルでクライアントに「大丈夫!何も問題なく引っ越しできますよ」と言っても、後から「家具が来なくて引っ越しが遅れることはよくありますから、なにとぞご理解ください」と伝えたり、新築のアパートだからと喜んでいるクライアントに「インドでは、新築のアパートで水漏れすることはよくあります」と伝えたり。
1つの案件で「日本の常識ではありえないミス」が生じるたびに、クライアントに怒鳴られながらそのミスを心に焼き付け、次は絶対に先回りして「こういうミスがありえます」と伝えよう―。
僕はその一心でインターンをやり遂げ、最後の最後ではじめて、毎回案件の終わりに実施するクライアントのフィードバックで最高の評価をいただいたのだ。
広告代理店でも、「クライアントの期待度」が高すぎて失敗をする、ということはよくある。
「これだけ視聴率を取れると言っていたのに、取れないじゃないか」僕がいるテレビの部署では、そんな言葉をよく耳にする。
およそクライアントのいるビジネスにおいて(つまりすべてのビジネスにおいて)、「期待の度合いを適正に保つ」ことは、必要不可欠なことだ。
もちろん、クライアントの望む以上の結果を出すことは、ビジネスにおいて常に求められていることではある。
しかし、過剰な期待を抱かせて幻滅されてしまうというのは、避けるべき最悪のシナリオだ。
クライアントの期待度を適切にコントロールするという感覚は、普通の学生生活ではなかなか身に付かない。なぜなら、アルバイトなどではそもそもそこまで期待されないからだ。
海外という特殊な環境で否応なしに生じる、「同じ日本人だからやってくれるよね?」という高い期待と現実とのギャップ。
その狭間で死にそうになりながらインターンをやりきった経験は、絶対に、必ず、あなたの今後の人生に生きてくるはずである。