Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

これからの大学生活にワクワクしている、あの頃の誰かさんへ

今年は桜を見てないし新入生で溢れるキャンパスを訪れてもいないけど、そういえば4年前、僕は大学1年生だった。

あの頃、頭でごちゃごちゃ妄想するのが大好きで、そのくせ外に向かってはプライドが高くて、人の話に興味なくて…そんな根拠のない希望に満ちた大学1年生だった僕に、今の僕が出会ったとしたら。

僕は何を、伝えたいだろう。



1、君は特別なんかじゃない

それなりに勉強して入った大学だ。君はいわゆる「良い大学」に入れたのだろう。それ自体は、君が努力した結果だ。

だけど、君はまったくもって「特別な存在」なんかじゃない。

わかっているって?でもたぶん、心のどこかで「いや、そんなことはない。俺は特別だ」とふんぞり返っている自分がいるんじゃないだろうか?

学部の優秀な友人と議論して、自分の知識のなさと頭の回転の悪さに打ちのめされるといい。ありふれた接客のバイトで、自分がどんなに仕事ができないか思い知るといい。先輩の部活やサークルへの情熱的な取り組み方に、馬鹿にしていた真剣なアマチュアに、かなわないと頭を垂れるといい。

ノーベル生理学賞・医学賞を取った偉大な科学者が、かつてはNobodyであったように、今の君は誰でもないただの人間だ。

君は、特別なんかじゃない。

それを心底思い知り、受け入れることができた時、たぶん進むべき道は見える。



2、大学時代は、人生の夏休みなんかじゃない

「来るべき灰色の社会人時代に向けて、目いっぱい遊んでおかないとね」

そう寂しそうに呟く友人が、僕にはとても滑稽に見える。

未来を灰色で塗りつぶすかどうかは、君自身にかかっている。君が来るべき時間に向けて何もせずただ現在を消費しているだけなら、未来もそれに応じたしかるべき質のものとなるだろう。

君は一生、あの頃は楽しかったというノスタルジーに浸りながら生きていきたいのだろうか?

思い出作りという名目で撮りまくった写真や、昔の友達からもらった手紙。久しぶりにそれらを広げて楽しむのはかまわない。それで明日からの生活もがんばろうと思えるなら。結局、過去にはそれくらいの力しかない。

「今しかできないから」と遊ぶのではなく、自分が遊びたいから遊ぶ。自分が遊びたくないなら、遊ばない。それだけでたぶん、灰色の社会人にならずにすむ。時間どろぼうたちは、自分の人生を生きていないものから時間を奪い取っていくから。

モモ (岩波少年文庫(127))

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3、慣れ親しんだぬるま湯から、ほんの少し出てみる勇気

中高時代の仲の良かった友達とか、大学で入ったサークルの仲間とか、同じ時間を過ごした人たちっていうのはとても大切なものだ。だからついつい、その空気に甘えてしまうことがある。自分を受け入れてくれる、気持ちのよい空気に浸ってしまう。

そうやって帰れる場所があるというのは、とても良いことだと思う。

でも社会に出たら、まるきりバックグラウンドの違う人と、意志を疎通させていかなくちゃならない。

これはなかなか難しいことで、相手の話をきちんと聴いて、わからないことがあったら的確に質問して、その上で自分の言いたいことを短く要点をまとめて言わなくちゃならない。コミュニケーションにおいて「暗黙の了解」に頼ることはできないのだ。

その練習を兼ねて、自分が帰属意識を持っているコミュニティから、勇気を出して少しだけ顔をのぞかせてみる。

自分のホームグラウンドから離れると、いろいろなことがわかる。自分がいかに簡単に偏見を持ち他人を断罪しているかということ、パッと見の外見や住む世界が違っていても、人は意思を通じ合わせ、共感し合えるということ…。

これからの世界の見方が少し変わるはずだし、それはきっと人生にプラスの影響を及ぼしてくれるだろう。

人を理解しようとする姿勢。それは、とても大切なものだと思う。



4、やりたいことが変わるのを、恐れてはいけない

大学に入学する時、君は多少なりともその学部に関連した何かを学びたいと思っていたはずだ。

だけどもし、やりたいことが変わったら…いいんじゃない?別に。転学部してもいいし、休学してもいいし、あるいは学部の勉強は最低限こなして、他のところで好きなことをやってもいい。

「お前の代わりに大学入試を落ちた人間がいるんだぞ」と言われても、はっきり言ってそんなの関係ない。入試に合格してその大学に入ることができるのは、君自身の権利だ。

やりたいことは、変わるもの。その都度その都度、自分が興味あると思ったことに、素直に取り組み続ければいいのだ。そのうち、必ずそれらの関連性が見えてくる。このことについては、「違うタイプの人に、価値観まで破壊される必要はない」で書いた。

誰かが言うかもしれない。お前の生き方には一貫性が見えないと。それこそが、「違うタイプの人」なのだ。価値観の違いだから、それは議論してもどうにもならない。

せめて君自身だけは、そんな自分を縛ってはならない。自分が昔言ったことに囚われて、今やりたいことができないなんてことがあってはいけない。

「一貫性」よりも「変化」。変わることを恐れず、突き進めばいい。自分を信じて。



5、自分の価値基準を信じろ

大学に入ると、すげーなって思う人がそこらへんにいる。今ならリアル世界だけでなく、Twitterなんかを見ても、「この人、本当に自分と同じ大学生なの??」と驚いてしまうような人たちがいるだろう。

尊敬する先輩たちから、いろんなアドバイスをもらうと思う。このブログだって、そんな偉そうな忠告の一つだ。君はとにかくいろんなものを咀嚼して飲み込もうとするだろう。

その時に、「ん?なんだかこれは口に合わないな…」と思うものがあるはずだ。飲み込んだはずなのに喉に小骨が刺さっているような、そんな違和感。

そこに、自分の価値基準が存在している。

特に、生き方に関するアドバイスについては、どれだけ相手が自分より偉くても、感じた違和感を押しつぶしてはいけない。

人の価値観に、正解はない。

起業して世界を驚かすような製品を開発したい。趣味のギターを生涯弾き続けたい。結婚して幸せな家庭を築きたい。この腐った世の中を、無気力な人たちを変えたい。好きな研究を、死ぬまでやりたい…。これらは、僕が80人の大学生たちとお酒を飲んで語り合ってきた中で聴いた彼らの価値観の、ほんの一部である。

どんな生き方でもかまわない。自分が良いと思う生き方に、他人の承認はいらないのだ。

イイネをいくつもらおうが、リツイートをいくつされようが、関係ない。君が良いと思う生き方なら、それだけで良いのだ。



なんて、説教じみたことを書いてしまったけれども、どれもこれも僕がこの4年間に気付いた、とても大切だと信じていることである。

4年前の僕がたまたまこの記事を読んだとしても、きっと読んだだけでは、そのうち忘れてしまうだろう。

痛い目にあい、打ちひしがれた時に。ここの記事を思い出してくれたら嬉しい。



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「私はこういう人間です」と語れるようになれたら、その大学生活には、意味があったと思う。