Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

インターンシップの説明会に、社員として参加して思ったこと。

今日は、2016卒の学生のみなさんのためのインターンシップの説明会に、新卒1年目として出席させていただいた。

 

前に出てプレゼンをする、という形ではなく、円卓を囲んでざっくばらんに質疑応答に答える、といったものだった。

 

僕がなぜ京大の理学部というガチガチの理系から広告会社に来たのか、どんな人が広告業界には向いているか、僕の思う広告ビジネスの限界とこれからとは、などなど、新人なりに今考えていることをいろいろと話した。

 

思っていたよりも話が弾んで、いい意味で「対等に」たくさんの人と話せたように思う。

 

 

 

前にも書いたけれど、学生と社会人との間に何か人間的に大きな違いがあるのかというと、そんなことはまったくない。どちらも、楽しい時には笑い、悲しい時には悲しむ、一人の人間である。

 

だが、就職活動という場は、時として社会人をスーパーマンに仕立て上げてしまう。

 

ともすれば内定者ですら、「一流の」企業の関係者、未来の社員という目で見られ、就活のイベントでは崇めたてまつられる。

 

僕は、就職活動のこういった「選民意識」のようなものが、本当に嫌だった。

 

どこに所属していようと、どんな肩書きを持っていようと、人と人とは対等だ。

 

仮に僕の勤めている企業にあなたが行きたいと思っているとしても、僕が話すことは王の勅命ではないし、呪術師のお告げでもない。

 

目を必要以上にキラキラさせて、「そうなんですか~」などと言ってもらわなくていいのだ。

 

そういう「社会人の無意味なスーパーマン化」を、今日は感じなかった。一人ひとりと、短い時間ではあるが、とても良い対話ができたと思う。

 

 

 

逆に学生(という言葉が便利なので使う)視点で見れば、面接でもOB訪問でも「今話している相手も一人の人間なんだ、対等の立場なんだ」ということを感じながらできているのなら、就職活動はうまくいくと思う。

 

あくまで僕個人の評価の基準だが、自分の内をさらけ出さない人は信用できない。いくら僕の話に相槌を打って感じ入るふりをしていても、自分の話ができない人はダメだ。

 

小さくてもいいから自分なりの哲学を持ち、それでいて狷介固陋に陥らず、周りとうまくやっていくことができる。そういう人が、自然と自分の進みたい道を選び取れるように思う。