Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

就職活動肯定論。

12月1日に就職活動が始まった。(もっとも、すでに「始めていた」人も少なからずいると思うけど。)

「就職活動」と聞いて、プラスのイメージを持っている人って、かなり少ないんじゃないかと思う。

その原因は、「内定がもらえない」学生の暗いイメージであったり、「就職活動という茶番をなくせ!」という叫びであったりする。

そんな状況を見て、僕は「なんだかなぁ」と思う。



就職活動について意見を述べる時、僕らは「システム面」と「ソフト面」に分けてものを考えるべきだと思う。

「システム面」というのは、自己分析をして、業界研究をして、選考を受けて…といった「就職活動において推奨される一連の流れ」や、新卒一括採用という「採用スタイル」、あるいはエントリーシートや面接、グループディスカッションといった「選考手法」のことだ。

「ソフト面」というのは、就職活動で経験することそのものだ。ESで書く時に「考えること」、グループディスカッションや面接で「人と出会うこと」、自己分析をして「自己が見えてくること」などなど。

そして、就職活動がよく批判されるのは「システム面」の不備についてだ。

自己分析など無駄だ、新卒一括採用は時代遅れだ、たかだか数十分の面接でその人を理解できるわけがない(ハイパー・メリトクラシー主義に対する批判)、などなど…。

確かに、それら個々の批判は正しいのかもしれない。

しかし、あまりにも「システム面」についての批判が大きすぎて、「ソフト面」も何もかもごっちゃにして「就職活動」を批判してしまっているように思う。



就職活動には、もっともっと楽しい部分がたくさんあるはずなのだ。

例えば、「就活生」という肩書きを使えば、どんな業界のどんな職種の方とも話をすることができる。OB・OG訪問というが、別に自分の大学の先輩でなくてもかまわないのだ。

選考やイベントの場では、同じように将来どんなことがしたいのか悩む同世代の学生たちといろんな話ができる。たくさん仲間ができる。違う会社、違う業界に行こうとも、ずっと付き合うことになる友人ができるかもしれない。

僕にとって、就職活動のそういった「人と出会い、話をし、いろいろな人の価値観を知る」という面は、本当に楽しく感じられる。これだけのために、ずっと就活生でいてもいいと思えるほどだ。(ダメだけど)

あるいは、選考に勝ち残るという「競争」におもしろみを見出す人もいるだろう。人や自分との対話の中で己の中に形成されていく「アイデンティティ」を頼もしく思う人もいるだろう。自分の理想としたい社会人の方と出会い、自分の「将来」にワクワクする人もいるだろう。

「就職活動」というキーワードだけを聞いて憂鬱になって、そういった楽しみまで捨ててしまうのは、本当にもったいないと思うのだ。



就職活動は、社会に出て僕らが経験することを1年や半年といった期間に凝縮した、ゲームの体験版のようなものだ。

もしもプレイしてみて嫌だと思うなら、そのシステムは自分には向いていないということだろうし、案外心地良いと思ったなら、体験版ではなく決定版を購入することを検討してもいい。

現に僕は、一度就職活動をちらっとやってみた後に休学して、今二度目の就職活動を行っている。

自分なりのタイミングで、自分なりの楽しみを見つけ、自分なりの意義を持って飛び込めば、決して就職活動は辛いだけのものには終わらないと思う。



特に日本において、多くの人に当てはまると思われる就職活動の意義は、「アイデンティティ形成の場」というものである。

大学学部入学時から専門化が図られ、学部間の移動という概念が非常に薄い日本においては、「学部で学んだことと就職先が接続しない」というのは、非常に理に適ったシステムでもあるのだ。

欧米では、一般的に他学部への移動は非常に容易であると言われる。「あ、違うな」と思ったら簡単に他のことを学べるシステムであるからこそ、卒業時には学部と就職先を接続させることができるのだ。

単純に「学部で学んだことと就職先が接続しない」ことが悪である、と言うのは、欧米と日本の大学のシステムの違いを考慮しない、非常に浅い考えだと思う。日本においては、フレキシブルに就職先を選べる就職活動は、大学入学後固定された人生という線路に現れた、ポイント切り替え地点なのだ。

その切り替え地点をうまく利用すれば、自分のアイデンティティ形成という、日本の大学システムの中にいてはなかなか実現できないことが可能になる。

昔、「インドの若者は、『自己実現』の夢を見るか」という記事でも書いたけれども、今の日本では、自分とは何者か、どんなことを生きがいにしたいかということを、考える必要がある。

そういった自分のアイデンティティを形成する格好の場が、就職活動なのだ。

人生の先輩と、同期の仲間と、濃密な対話を通して、自分とはなんぞやという問いの回答欄を埋めていく。

ただ、そこで気を付けなければいけないことは、そうやって用意した回答は、企業に入った後で確実に叶えられるわけではない、ということだ。企業に入った後、希望していたのと配属先が異なる、というのは、よく聞く話。

「自分とはこういう人間であり、こういったことがやりたいです!」といった、自己アイデンティティについては、「自分とはこういう人間である」という部分がより重要だ。なぜなら、まだ迎えていない未来が自分の想像通りであることはまずないし、多くの場合、自分のやりたいことはさまざまな実現方法があるからだ。

そこにある程度の余裕を持たせつつ、就職活動を利用してアイデンティティを形成する、という視点が、あってもいいのではないだろうか。

(参考:「就活エリートの迷走」豊田義博著)

就活エリートの迷走 (ちくま新書)

就活エリートの迷走 (ちくま新書)



湖に浮かぶボートをこぐように、人は後ろ向きに未来に入ってゆく。目に映るのは過去の風景ばかり。明日の景色は誰も知らない。(ポール・ヴァレリー

就職活動は、それこそ僕らのボートを否応なしに巻き込んでいく大渦巻きのようなイメージなのかもしれない。

だけど、その流れをうまく捉え、自分の進みたい方向にボートを漕いでいくことも、できるはず。

どんなことが自分の身に降りかかろうと、自分なりの解釈を持って取り組めば、必ずそのシステム内部には楽しみが見つかり、そしてその向こう側に、納得のいく未来が見えるはずだ。