Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

凡人であることを、僕は叫びつづける。

僕は、つくづく平凡な人間である。

 

しかし、それを心の底から理解するまで、20年以上の歳月を要した。

 

少なくとも大学に入るまでは、自分にはどこか特別なところがあるはずだと、思い込んでいた。

 

難しい本を読んで、誰も興味を持たないような文章を書いて、悦に入っていた。

 

自分が考えたこと、感じたことは、決して特別なことではない…。きちんと文章を書いた上でそう評価されることが、死ぬほど怖かった。

 

だからわざと「自分すら理解できないような」文章を書いて、ごまかしていた。

 

 

 

しかし、現実はシビアだ。

 

あれほど有頂天になって入学した大学で、僕は「お前など少しも特別な人間ではない」と、四方八方から叩きのめされた。

 

サークルでは、一つのことにとことん夢中になって楽しめる人たちには、僕は到底叶わないと思ってしまった。

 

アルバイトやインターンシップでは、自分がいかに周りのことが見えていない、仕事のできない人間であるか思い知らされた。

 

唯一、自信があると思っていた頭の方も、3年の夏のインターンでコンサルや金融の選考(いわゆる「フェルミ推定」を使う面接とか、ややこしい筆記試験とか)に全落ちし、井の中の蛙であることを知った。

 

それだけではない。インターネットを見れば、中学生の時からプログラムを書いて今やGoogleから熱い勧誘を受けている天才プログラマーだとか、おもしろいコンテンツの力だけで1日に数万PVを稼ぐ人だとか、そういったすごい人があふれていた。

 

 

僕は、ただの平凡な大学生でしかなかった。

 

 

 

そこから、このブログはスタートした。

 

書き始めてもうすぐ2年経つけれども、今も訪問数は1日100を切らない程度だ(はてなブログに移ってからの5日間でいえば、133、153、112、148、そして今日がここまでで120)。人を集めるセンスのある人なら、とっくに1日10000アクセスとかやっていてもおかしくない。

 

それでも、僕は精一杯、自分の言いたいことが「伝わる」ように、文章を書こうと誓っている。

 

 

 

かつての僕のような、表現したものが伝わらなくてもいいやという姿勢は、単なる甘えだ。

 

自分に酔っただけの比喩や、いかに自分が物知りであるかを知らしめようとする引用、一握りの人しか意味を知らないような熟語……そんなものを羅列して、何が作文だ。

 

たとえ自分が凡人であっても、そんな自分自身を受け手にしっかりと伝えるための努力だけは、怠ってはいけないんだ。

 

それは、文章だけでなく、どんな表現の形であっても、同じことだろう。

 

 

 

ほとんどすべての人にとって、この「自分が凡人である」ということを心から肯定できるようになることが、自分の納得のいく人生を歩むためのスタート地点に立つことだと、僕は思う。

 

それを、何のためらいもなくできる人も、たくさんいると思う。「当たり前のことを書きやがって」と、思われても仕方がない。それを隠さずに書くということこそが、この記事で言いたかったことだからだ。

 

 

 

スタート地点に立った今だからこそ、ここに記しておきたいことがある。

 

これまでは、気が向いた時にしかブログを書くことは無かったが、これからは、毎日2時間ブログと向き合う時間を作ると決めた。なぜ2時間かというと、そうすることで僕が30歳になるタイミングで、それまで文章を読むこと、書くことに費やしてきた時間の合計が10000時間になるためだ。(参照:10000時間の法則

 

僕は、ブログを書くことが好きだ。

 

SNSでバズりまくるような記事は書けないけれども、自分の心の叫びを、信じている哲学を、ブログに書き続けたい。

 

10000時間を費やして何かを成し遂げられるかは、僕にはわからないけど……。今スタート地点に立ったからこそ、凡人である自分がやらねばならないことが、どうやら少しずつ見えてきているように思うのだ。

 

 

 

僕は、特別な人間ではない。

 

そんな自分の叫びを、死ぬまで世の中に叩きつけてやる。

 

1人でも、聴いてくれる人がいる限り。

 

 

 

 

 

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