Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

ストレートで新卒入社するのは、ある種の人にとっては負け癖を付けることに他ならない

ブログ休止から2カ月。

Twitterでブログ読んでますよと見知らぬ方に言っていただいたり、友人がブログ書いたりしているのを見て、やっぱり僕は「発信」がしたいなぁと思った。そして、「Rail or Fly」を再開することにした。

誰かの心に刺さる記事を書くことができれば本望だ。



このブログでは、僕の興味に沿って記事を提供していく。

もともと生き方や価値観についてなどの抽象的な話が好きな僕ではあるけれども、サイエンス、英語、海外、読んだ本、組織、音楽、カクテル、社会について、あるいはゼロイチで何かを発信していくことなどについて、幅広く書いていくつもりだ。

リアルで僕のことをご存知の方は、ちょうど僕がmixiで時折書いている日記を、もっといろんな人にわかりやすい形で書いたものと考えてもらえばいい。(逆に言えば、おそらく今後mixiの日記を書くことはないと思う)

今までのブログよりも、もっと主観的でもっと歪んだ、僕の心の中にある「憎悪」をこのブログには叩きつけていくつもりだ。

なお、2012年2月以前にこのブログ上でちょこちょこと書いていた文章については、「旧ブログ」というカテゴリにて保存しているので、もし興味のある方は読んでいただければ嬉しい。

今日からまた「Rail or Fly」をよろしくお願いします。



さて、今回は「Rail or Fly」というブログの題名について考えてみたい。

ご存知のように(誰も知らないか……)僕はこれまで何度となくブログを変え、その都度ブログのタイトルに悩んできた。

アフィリエイト目的でいかにもうさんくさい名前を付けたり、とにかく僕は将来すごいヤツになります!みたいなことを匂わせる暑苦しいタイトルを付けたり……今となっては失笑モンである。が、あの頃はくそまじめに考えて付けたつもりだったのである。

「Rail or Fly」のRailというのは、もちろん電車のレールである。しかしより比喩的、概念的に言えば、「すでに誰かあるいは何かによって敷かれている一本の道を、寄り道したり脇に逸れたりすることなく進んでいくこと」を指す。

僕の使っているレールという言葉は、もともとは城繁幸の「若者はなぜ3年で辞めるのか」というかなり前の本から来ている。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)



この本を、僕は確か大学1年の冬に読んだ。

とにかく衝撃だった。

僕はその頃「サイエンスの世界をわかりやすく世の中に伝えるライターになりたい」と考えていて、京大図書館にあるブルーバックスという科学の入門書シリーズを4年間の大学生活ですべて読みつくすという計画を立てていた。だから頭の中は、やれ猫が生死重ね合わせの状態にあるだの、やれ平行線の交わる世界が考えられるだの、やれ人を含めた生物はすべて遺伝子の乗り物に過ぎないだのといった楽しいコンセプトで埋め尽くされていた。(ブルーバックスを制覇する計画は、十分の一もいかぬまま頓挫した)

そこに「年功序列(≒レール)は、もはやシステムとして機能しない。日本企業は、別の道を探さねばならないだろう」と日本のリアルを説く城繁幸の本を読んだのである。

おそらく僕が初めて、コンセプト的な世界から引きずりおろされ、現実を垣間見た読書体験だったと思う。これをきっかけに僕は「サイエンスをテーマに起業しよう」と考え、大学2年の春からベンチャー企業でのインターンに挑戦することになるのだが、これは別の物語、いつかまた、別のときに話すことにしよう。

まあとにかく、この本を読んで「レールに乗って、時にはしがみついて生きていくのではなく、レールがなくても歩いて前に進んでいける人間になろう」と強く決意したことは間違いない。



結局は、大学1年の当時抱いたその思いが、3年後にブログの題名という形をとって現れてくる。

レールに乗るのか、それとも飛び降りるか。

その気持ちを込めて、僕はこのブログに「Rail or Fly」という題名を付けた。

自分が選ぶのは、もちろん後者だ。



ところで、僕はこれまで80人を超える大学生たちとさし飲みを敢行してきた。さし飲みというのは、2人きりでお酒を飲んでなんやかんや話すことだ。

さし飲みをした人の中には、いろんな人がいた。自分と似ている価値観を持つ人も、ちょっとこいつ何言ってんだみたいな人もいた。いや、僕は後者みたいな人こそ大歓迎なので、もし心当たりのある人がいたら、どうか褒め言葉と受け取っていただきたい。

みんな、大学生活を一生懸命生きていた。

だけど、レールから飛び降りている人は、正直ほとんどいなかった。

ここで僕が言う「レール」というのは、ものすごく具体的に言えば、大学を学部卒なら4年、修士卒なら6年で、それぞれダブりなく卒業し、そのまま空白期間なしに企業に就職することだ。

日本の大学生の多くを待ち受けている就職活動において、休学や留年が何年以上あると選考に不利だみたいな話が、まことしやかに囁かれている。いや、そういう場合は「新卒カード」がある分まだマシで、いったん大学を卒業して既卒扱いになってしまうと、もはや日本での就職活動は「詰んだ」に等しいという。

自分なりにいろいろと考え、悩み、選択した道の先に、もはや何の希望も見えないのだとしたら。……ハンス少年のような悲惨な結末を迎えてしまったとしても、決しておかしくはない。(車輪の下/ヘルマン・ヘッセ あらすじ

かくしてレールに乗るというのは、日本社会において妥当な選択であるように見える。

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)



僕は、すべての人にレールから降りろと言うつもりはまったくない。これっぽっちもない。

人には人の価値観がある。自分が心からやりたいことは何かを問い続け、苦しみながらその実現に向かうことを放棄して、そんなに忙しくもない企業に就職して「まったり高給」を目指したり、仕事は金銭を得る手段と割り切り、そのお金で愛する家族を養ったり、高い学歴とすさまじくキレる頭を武器に外資系企業でバリバリ稼いだりする人がいたりすることに、僕はまったく頓着しない。そこに何かいちゃもんをつける理由などない。それがその人の価値観なのだから。

だけど、僕がさし飲みで時たま出会ってきた自分と同じタイプの大学生、「将来人と違うことをしたい」と言う大学生にだけは言いたい。

学生のうちにレールから降りることができなければ、一生レールから降りることができなくなってしまう、と。

学生というのは、何にも責任を負わなくて良い身分だ。(普通は)結婚もしていないし、養うべき家族もいない。フリーターだってそうじゃないかと言う声があるかもしれないけど、フリーターっていうのはすでにレールから降りている。学生はレール上の存在だ。ここが違うのだ。

人生の中で、おそらく一番自由に動けて、体力的・精神的に無茶もできて、しかもまたレールの上に戻ってこれる身分なのに、今レールから降りてみることができないなら、おそらくその呪縛は一生続くだろう。それでいいのか。

ストレートで、ピカピカの経歴で新卒として入社して何年か働き、いざやりたいことができた時に、あなたはその会社から抜け出せるだろうか。

知らず知らずのうちに、自分の中に「レールに乗る」という負け癖をつけてしまっている人間は、きっと何もできず終わるだろう。

(一応書いておくが、僕は「レールに乗る」ことがすなわち「負け」だとは考えていない。しかし、「人と違うことをしたい」人間にとって、レールに乗り続けてしまうというのは間違いなく「負け」だ。人にはそれぞれの価値観があり、勝ち組・負け組という定義も人によって異なる。自分の価値観に素直に生きられるのが、僕の思う「勝ち組」だ)



僕は今インドでインターンとして働いている。

仕事の関係で日系企業の駐在員の方々とお話しする機会がある。その中には、もともと海外で働くということなど少しも考えていなかったけれども、このままではダメだと考えて海外行きに手を挙げたとおっしゃる方もおられる。だから、学生時代にレールから外れることができなかったからと言って、一生それが続くというのは、少々言い過ぎかもしれない。

しかし依然として、大学時代にレールから外れることができなければ、高い確率で「いつかは起業したいなぁ」などと言いながら死んでいくことになるだろう。

ちょうど「英語できるようになりたいな」と言う人がいつまでたっても勉強を始めないのと同じように。



レールから降りた先に、何があるのか。

どの地点で降りるか、どういった環境を選んで降りるのかにもよるけれど、間違いなくそこは厳しく、同時に素晴らしい場所のはずだ。

電車に乗らなくても、自分の足で前に進んでいけるんだ、という感動がある。

たとえば、僕は現在働いているインド資本の企業から、「正社員になって働かないか」と言われている。日本の企業に新卒で入るのとは比べ物にならない程度の安い給料しかもらえないけど、物価も安いから、十分食べていける。

あるいは、かつて大学の講義をほっぽりだして参加した中小企業でのインターンや、ゴールデンウィークを潰して行った沖縄のダイビングショップでのアルバイトを思い出してもいい。厳しくても、そこでがんばれば確実に認めてもらえる環境だった。

そう、人間はどんな場所でも意外と生きていけるのだ。

だけど、電車に乗って外を見渡しても、そこに可能性を見出すことはできない。とにかく一度降りてみないとそこがどんな場所かはわからない。ちょうど運動量と位置を同時には決められないように、多数派とのんびり電車に揺られながらレールから外れた素晴らしい場所を見出すことはできないのだ。

決めるべきは、自分がどう生きたいのかということ。

レールに乗るのか、それとも飛び降りるのか。



大学3年の夏、インターン選考という名の就職活動をしていた僕は、ある程度納得のいく成果を残せたことに満足しつつ、このまま就職活動を続けるのか、大学を休んで海外インターンに挑戦するのか迷っていた。先ほども書いた通り、休学は就活にマイナスになるという噂を聞いていたからだ。

そんな時、就活の中で出会ったとある企業の人事の方に、こう問いかけられた。

「サカグチくんは、やりたいことをやるために休学という手段を選んだ自分を否定するような企業に、入りたいと思うのですか?」と。

そう、僕はそんな企業に入る気はなかった。だけど、その方に質問されるまでそれが自分でもわかっていなかったのだ。

レールから飛び降りて生きていきたい自分を否定する企業など、こちらも別に入りたいとは思わない。

だから、決めるべきは自分がどう生きたいのかということ、そしてそのためにはどういう進路を取りたいのかということなのだ。



レールに乗るのか、それとも飛び降りるのか。

自分の直感を信じて、やりたいことをやろう。

僕を含め、ほとんどの人は凡人だ。凡人が人と違うことをしたいなら、それはもう人と違う経験をするしかない。人は自分の経験や知識の範囲外で物事を考えることはできない。すなわち人と違う経験をしなければ、人と違うことは発想できないし、人と違う行動もできない。

「将来人と違うことがしたい」口先だけじゃなく、一度飛び降りてみてほしい。そこから始まる。





※レールから飛び降りて、どうなったかを書いた記事。

休学が僕にもたらしたもの