2012年3月7日に最初の記事を書いたこのブログも、いつの間にか一周年を迎えていた。
ウェブ上で文章を書き始めたのは大学に入ってからのことで、僕の世代だと、むしろ遅いくらいだと思う。
最初はウェブと言ってもmixiとかの内輪向けのSNSで文章を書いていた。なぜなら、「ブログという不特定多数に向けて書く文章は、読み手に何らかの影響を及ぼす必要がある」と思いこんでいたからだ。
僕は人に影響を与えたり、変えたりといったことが苦手だ。元々、その人はその人のあるがままで良いと思ってしまう人間である。(就職して、人と一緒に仕事をするようになったら、改善しなきゃいけない部分だなぁと思っている。)
だから、内輪向けのSNSで好き勝手書くのが性に合っていたのだ。
最初、ブログという形で文章を書き始めた頃は、「誰かのためになるような文章を」と思っていた。さっきも書いたが、「読み手に何らかの影響を及ぼすのがブログだ」という固定観念があったためだ。
だから、ライフハックみたいな記事とか、自己啓発的な記事とか、そういったことを書いていた。
そういうことを書くのが、楽しい人もいるんだと思う。
でも、僕は書いていて全然楽しくなかった。
世の中のニーズと自分のやりたいことが合致している人は、本当にラッキーだと思う。
例えば、アカデミズムの世界で生物学をやりたいと思っている人と、世界や企業の動向を調べるのが好きな人がいるとすると、前者は教授のポストを得られなければお金をたくさん稼ぐのは難しいのに対して、後者はトレーダーや経営コンサルタント、商社マンや銀行マンなど、いろんなところに活躍できる場所を見いだせるだろう。
音楽をやりたいと思っている人でも、わかりやすく切ないバラードがやりたいと思っている人は、一般に認知されていない前衛的な音楽をやりたいと思っている人より、何倍ものファンを獲得できるはずだ。プロでもアマチュアでも、それは変わらないだろう。
ウェブ上における発信に関してもそれは同じで、「料理が簡単になるレシピ」とか「よく眠れる方法」とか「モチベーションを上げる3つのコツ」みたいなものを書きたい人は、本当にラッキーだと思う。
僕は、そうではなかった。でも、そうあろうとしていた。それで、ずっともがいていたのだ。
2年ほど、そういう時期が続いて、この「Rail or Fly」というブログを書き始めた。
僕はこのブログで、自分自身に向けて、記事を書いている。
自分の向こう側にいる、共感してくれる人たちに向けて、記事を書いている。
そのあたりについては、「知らない人にブログの記事を読んでもらう方法」に書いた。
自分に向けて書いたものをウェブ上で晒す、ということについて、それってどうなの?と思う人もいるだろう。しかし僕にとって、気持ち良く文章が書け、書いたものが誰かの価値になっていると感じられるのは、この形しかなかった。
ビジネスならいざ知らず、個人で書いているブログだ。自分が気持ち良くなければ、続ける意味などないだろう。
ブログを書く上で、姿勢として大事にしていることが2つある。
1つは、「たった1人に届くような言葉を書きたい」ということ。
もう1つは、「文章は、他の要素から切り離して、それ自体で評価してほしい」ということ。
1つは、「広く知らしめるのではなく、共感してくれる人1人に、メッセージが届けば良い」ということである。
the pillowsの「1989」という曲の中には、こんな歌詞が出てくる。
独りぼっち 寂しさに慣れたなんて嘘だよ
忘れそうな 自分の声
喉はずっと渇いてる
Please, catch this my song
君に届くように
Please, catch this my song
歌っていたのさ 1989
(1989/the pillows)
(Please, catch this my songという叫びが痛切に胸に響く、素晴らしい曲である。)
本当に、そうなのだ。
インターネットの特性として、「誰もがあるコンテンツを閲覧できる」「URLを消さない限り、残り続ける」というものがある。
このメッセージを聞いてくれ、君に届くようにずっと歌っていたんだ…。そんなふうに、僕は記事を書いてきたし、これからもずっと、そうやっていきたい。
あるいは、名曲「ストレンジカメレオン」でも、こんな言葉が歌われている。
君といるのが好きで あとはほとんど嫌いでまわりの色に馴染まない 出来損ないのカメレオン
優しい歌を唄いたい 拍手は一人分でいいのさ
それは君の事だよ
(ストレンジカメレオン/the pillows)
ライフハック的な、キャッチーな記事を書けなくても、つまり、「周りが良しとすることになじめなくても」、君にさえ届けば、それだけで構わない。
実はthe pillowsというバンドは、この「ストレンジカメレオン」という曲を境に、売れるための音楽から、自分たちの信じる音楽へと舵を切ったと言われている。
6thシングル「ストレンジ カメレオン」は、大衆的な音楽を目指すも失敗した自分たちを「まわりの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」とたとえ、それまでthe pillowsが築いてきた音楽やスタイルを大きく否定するものであった。そのため「ストレンジ カメレオン」の発売は、反対するレコード会社とメンバーの対立の中、半ば強行的に行われた。
また「ストレンジ カメレオン」を収録した5thアルバム『Please Mr.Lostman』は、メンバーにとってインディーズへの後退も覚悟した「音楽業界への遺書」であり、同時にどんな状況下でも自分たちの信じる音楽を頑なに貫くという決意のアルバムであった。
(Wikipedia参照)
売れること、評価されることと、自分たちの音楽をやり続けること、その狭間で悩み続けたバンドだからこそ歌えるメッセージは、個人ブログという形で表現活動を行うちっぽけな一人の大学生に、とてつもない勇気を与えてくれた。
the pillowsは、最高のロックバンドである。
もう1つは、「書いたものは、僕個人から切り離された一つの作品であり、僕個人への評価や好悪とは別に、評価してほしい」ということ。
これは、イギリスのバンド、Travisの「Invisible Band」というアルバムのコンセプトを聞いた時にいいなぁと思い、ブログ流に改変したものだ。
「バンドよりも作品の方が大切。残ってゆくのはバンドではなくて楽曲だけでいい」…。「Invisible Band」リリース時にボーカルのフランが口にしたこのセリフは、Travisというバンドを象徴するキーワードとして、広く知られている。
(Flowers In The Window/Travis)
(「Invisible Band」の中でも、素晴らしくキャッチーで優しく耳をくすぐるメロディー。)
ブログもそうだ。僕は、かなり実名に近い形でこのブログをやってはいるけれども、やはりそれは、現実世界の僕とは切り離した形で評価してほしい。
ただ、一方で、「あの人が書いているから、読む」と言われることは、表現者にとっては一種の理想的な状態ではないか、とも思う。
それを踏まえると、このブログを読もうと思う入口は、偶然でも、僕が書いているからでも、なんでもよくて、ただ、個々の記事の評価については、記事それ自体で完結させてほしい、ということだと思う。
僕は2014年度から広告業界でお世話になることになった。
広告代理店は、「広く知らせるだけ」ではなく、「1人1人の生活者の行動にまで結び付けられるような」施策を考えなければいけない、と言われている。
また、広告というのは広告主のものであって、代理店やクリエイターのものではない、ということも、言われている。
それらを考えると、僕がブログで意識していたことというのは、仕事をする上でも、大切にしたいしするべきことなのではないか、と考えている。もちろんビジネスと趣味とを同列に括ってはいけないが。
結果的に、オンとオフにおける相乗効果が生まれたらいいな。そんなことを思って、これからもブログを書き続けたい。
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