Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

僕は、僕らは、何のためにブログを書くのか

どうも、お久しぶりです。

この1カ月、まったくブログを更新しなかったのは、文章を書くという行為で解消したい心のわだかまりが、そもそも存在していなかったからだ。

表現欲求というものがどう定量的に計測できるのかは不明であるが、確実にそれは存在しているし、自分の精神状態によって欲求の値は上下動する。気分が落ちていてもダメだし、満ち足りていてもダメだ。バランスを取るのが難しいし、そもそもバランスを取れるものなのかわからない。



文章を書くという行為は、いろいろな動機に裏打ちされている。

共感してもらいたい、賞讃されたい、自分の居場所を確認したい、世の中にモノ申したい…。まあ、どんな動機でも構わないと思う。いろんな人の文章が読める世界は僕にとっては楽しい。

それらの動機は、一見バラバラ、人によって千差万別であるが、実はある種の段階に従って並べ替えられうると僕は思う。

と、大上段に構えつつ、繰り出すのはいわずと知れた「マズロー欲求段階説」なんだけど。

マズロー欲求段階説というのは、人間の欲求は5段階の階層で表され、人は低次元の欲求が満たされるとより高次元の欲求を満たすべく動く、というものだ。

低次元の欲求から順に以下のようになる。



1、生理的欲求(食事・睡眠・排泄など本能的な欲求)

2、安全の欲求(安心できる住居、健康であること、経済的安定性を求める)

3、所属と愛の欲求(愛されたい、どこかに所属していたい)

4、承認(尊重)の欲求(地位・名声を手に入れたい、自己肯定感を得たい)

5、自己実現の欲求


ブログを書く動機は、特に3以降の欲求のどれかに必ず当てはまると思う。

内輪だけのブログで、そこに参加している人たちの共通の知人や趣味について、噂や好き嫌いを書き連ねるのは、所属と愛の欲求を満たす行為。交換日記や、mixiの日記をイメージしてもらってもいい。

ユーモラスなエッセイとか、専門化顔負けの知識とか、ちょっとしたライフハックとか、そういったことを「自分を世の中に認めさせるために、すごいと言ってほしくて」書くのが、承認(尊重)の欲求。FACEBOOKでシェアされて回ってくるお涙ちょうだいの長文っぽい。

一方、上で挙げたようなことを「少しでもこの世界を自分の願う理想の世界に近づけたくて」書くのが、自己実現の欲求。



ここまで書いて、僕が今文章を書く気にならないのは、自分が移行期にいるからかもしれないと思った。

今まで僕は、「自分の考えたことに、1人だけでも共感してくれたらいい」というスタンスで文章を書いてきた。自分のために文章を書き、自分の向こう側にいる、同じようなことで悩み苦しんでいる人たちに僕のメッセージが届くことを願ってきた。

それは、あくまで自分に向けたメッセージである。自分に向けたメッセージが、結果他者に共感してもらえればいい。共感してもらうことが、自身が正しいということにつながる。

それは、自分に向けたメッセージが他者に届くことで自分自身が肯定感を得る、言ってみれば承認(尊重)の欲求を満たすための行為である。

しかし、そういった「どっちでもいい」という態度を取り続けるということは、共感できない人を最初から切り捨てているのと同じことだ。

これまでの、漠然と自分の思いをネットの海に垂れ流して、それで引っかかってくれた人たちだけで良い、というスタンスから、より広く、より積極的に、自分の思いを伝えていくフェーズなのではないか。

それは、「自分の信じる理想の世界に、この世界を少しでも近づけていく」という、能動的な、自己実現の欲求である。

これまでの表現欲求と今自分が感じている表現欲求との間にギャップがあるために、これまでのスタイルを、自分がなんとなく拒否している、だから書けないのかもしれない。そういうことである。



ブログの投稿ボタンを押す時、僕はいつもマウンドに立つピッチャーが力をこめて白球を投げ込む様子を思い浮かべる。

これまでは、投げた瞬間球の行方はどうでもよい、と思っていたのだ。それがキャッチャーミットに収まっているのか、そんなことは知らぬ、と。

しかし、僕がこれまで長い大学生活を通して苦しみながら得た自分の信念を本当に正しいと思っているのなら、力いっぱい投げ込んだ白球の行方を、確かめるべきなのだろう。キャッチャーが受け止めてくれたのか、ストライクかボールか、見事に打ち返されたのか…。そこまで責任を持つ気がないのであれば、僕は適当にこれからも文章を書き流して終わるだろう。

それは嫌だ、と思う。

でも、本当に自己実現の欲求をブログを通して満たしたいのか、まだ確信を持てない。

しばらく、思考錯誤が続くだろう。



ぐだぐだであるが、今思っていることを書いてみた。

少なくとも、何らかの動機を抱いて文章を書くことは止めないので、ありがたくもこのブログをいつも読んでくださっている方がいるのであれば、また遊びにきてもらえると嬉しい。



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