Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

ミーハー心や知名度で就職先を決めて、何が悪いんだ。

就職活動をしていた頃、人気の業界やいわゆる一流企業を目指す学生たちを鼻で笑うような人に、何度か出会ったことがある。

 

あるいは、大企業に行っても誰も守ってくれない、これからは自分がどうなろうとも生きていけるだけの力を身につけるべき時代だ、という啓発的なインターネット記事を、何度か読んだことがある(たいていその後は、ベンチャー企業に行け、と結ばれている)。

 

僕はその度に、言い知れない違和感を感じていた。

 

そうは言っても、学生だった頃はまだ会社に入った後のことはわからなかったし、みんなが知っているからとか、かっこよさそうだからとかいう理由で企業を選ぶと、あとあと何かまずいことになるのかもしれない、などと思っていた。

 

しかし今あらためて思うのだ。

 

ミーハー心や知名度、親や友人への聞こえの良さで就職先を決めて、何が悪いのかと。

 

 

 

人にはそれぞれ、自分が一番力を発揮できる場所、というのがあるはずだ。

 

それは、上意下達を徹底する超体育会系な企業かもしれないし、今の自分には到底できっこないような大きな仕事をいきなり放り投げてくるようなチャレンジングな企業かもしれない。

 

それと同じように、名前を出すだけで多くの人から「すごいね」と言われるような組織に所属することが自らのパフォーマンスを最大化してくれるような人だって、きっといるはずなのだ。

 

どんな組織に所属すれば一番良い自分が出せるかということに、偉いも偉くないも無いのだ。

 

 

 

僕の友人は、多くの人がその名前を知る、世間で言う「超一流の」証券会社に入社した。

 

彼は、「自分は俗物だ」と言っていた。

 

彼の言う俗物とは、カネや名声をどうしても追い求めてしまう、それらを得ることに幸せを感じてしまう人間のことだ。

 

彼の名誉のために言っておくが、彼は小説や音楽、それからサッカーが好きな、気のいい男だった。俗物だと自分で宣言しているからと言って、カネにがめつかったり、病的に見栄っ張りだったりしたわけでは全然なかった。

 

しかし、彼は就職活動を進める中で、自分がどうしようもなく名声や収入を気にしてしまう人間だということに気が付いたのだ。

 

きっと最初は、自分はそんな下らない人間じゃない、もっと高尚な人間なんだと、思いたかったと思う。それこそ血を吐くような思いで、彼は自分が「俗物」であることを認めたのだろう。

 

就職活動を終え、久しぶりに会った彼は、晴れ晴れとした顔をしていた。

 

「さけくんとはベンチャーのインターンで会ったよね。あの時は、自分が何か特別な存在なんじゃないかって思っていた。でも、実のところ、僕は何にも特別なところのない俗物なんだってわかったんだ。最初は自分が俗物であることを直視するのが辛かったけど、ちょっとずつ、面接でもそれを話せるようになった。そうして、今のところに決めたんだ」

 

彼は僕に、そう語ってくれた。

 

僕は、そんな彼の語る言葉が、とても好きだと思った。

 

 

 

昨日読んだ小説を思い出す。

 

「今の自分がいかにダサくてカッコ悪いかなんて知ってる。海外ボランティアをバカにする大学生や大人が多いことも、学生のくせに名刺なんか持って、って今まで会った大人たちが心の中できっと笑ってることも、わかってる」

(中略)

「だけどこの姿であがくしかないじゃん」

声が渦になっていく。

「だから私は誰にどれだけ笑われたってインターンも海外ボランティアもアピールするし、キャリアセンターにだって通うし自分の名刺だって配る。カッコ悪い姿のまま、がむしゃらにあがく。その方法から逃げてしまったらもう、他に選択肢なんてないんだから。

(「何者」、p.264~266) 

 

 

 

僕だって同じだ。

 

起業やら休学やらのたまったところで、結局は、ファーストキャリアは大企業だと思っていた。とあるベンチャーの面接で「君は大企業に向いてるから、こんなところで面接を受ける必要はないよ」と言われて面接を即終了され、泣きながら、逃げ出すようにしてその会社から帰ったことがある。

 

結局、特別でもなんでもない、しょうもない人間である自分を知れということなのだ。

 

どれだけ野心あふれる尖った学生を演じていても、心の奥底にある安定志向やミーハー的精神は、隠すことはできない。たとえ面接官には隠せても、自分自身には、絶対にわかってしまうものなのだ。

 

これまで自分が所属してきたコミュニティをすべて振り返れば、どんな場所や環境が自分の力を最大化させてくれるか、わかるはずだ。

 

その結果、誰もが驚嘆するような名前を背負うことが自分にとって最高だと思うなら、そうすればいいのだ。

 

 

 

大きな責任ある仕事を任せてもらえるから。起業家の隣で、起業に必要なことを学べるから。大学で学んできたことを通じて社会貢献できるから―。

 

「自分はミーハーだから、俗物だから」という志望動機は、それらと何ら優劣をつけるところのない、立派な志望動機である。いや、「自分」が主語である分、いっそうの清々しささえ感じる。

 

何でもいい。自分はこうなんだ、という、地に足のついた一言さえあれば。

 

今どきどんな会社に入るのが(あるいは入らないのが)正解だなんて言っている人たちなど、気にしなくていいのだから。