Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

タブーだらけの社会人のブログに、存在価値はあるのか。

Facebookで更新告知をし、リアルとかなり近い形で運営しているこのブログには、書けないことが山のようにある。

 

仕事のことや僕の具体的な人間関係のことについては、基本的には今後も書かれることはないだろう。

 

果たして、自由にものを書くことのできないブログに、存在価値はあるのだろうか?

 

僕は「ある」と考える。

 

理由は3つあって、1つは、そのような制約の中でも表現できるメッセージは何で、どのように表現すれば問題ないかを考える練習になるから。1つは、リアルと近付けて形成されたインターネット上の人格は大きな信頼感を得るから。そしてもう1つは、制約の中でもがきながら発信する姿こそが、人間の本質ではないかと思うからだ。

 

 

 

まず1つ目についてだが、これは、少し前にバズっていた下の記事において、“与えられた枠の中で最適なアウトプットを生み出す工夫を凝らすことは、プロの仕事の面白さであり醍醐味”と述べられていることに近い。

 

全てのクリエイターには「中田ヤスタカにとってのCAPSULE」が必要である

 

(この記事では、個人ブログは「自由な表現の場」として挙げられている。しかし、完全にリアルと断絶させて書いているようなものを除けば、多くの人にとって、個人ブログは「自由な表現の場」ではないだろう。)

 

また、テレビCMをはじめとする広告には、「使って良い表現」と「使ってはいけない表現」というものが存在する。特に顕著なのが医療系の広告で、「治る」とか「効果がある」という文言に関しては、非常にシビアな判断が下される。

 

リアルと接続されたブログも、これに似ている。

 

制約の中で、自分には何が発信できるのかを考えることは、必ず僕の仕事(まさに上で触れた広告業)において意味を持つだろう。

 

 

 

次に、リアルに極力近づけた文章を書くことで、インターネットにおける信頼度が向上し、「この人とリアルでお話ししても大丈夫そうだ」と思ってもらえる確率が飛躍的に向上する。

 

実際、僕がこれまでブログで出会ってきた方というのは、積極的にインターネットで(多くの場合異性との)出会いを求める「出会い厨」と呼ばれる種類の人たちではまったくなく、ごく普通の方ばかりだった。

 

その証拠に、「これまでインターネットでブログを書いている人にメッセージを送ったことなんてなかったし、実際に会ってみたこともなかったです」と言われることは非常に多い。

 

おそらく、僕が「広告業界」の人間であるとか、「新卒1年目」であることとかをほのめかしていなければ、このような方々との出会いは実現しなかったのではないかと思う。これが、リアルに極力近付けてブログを書くメリットである。

 

「HUNTER X HUNTER」の念能力は「制約と誓約」によって威力を増すが、それにならって上2つの理由をまとめれば、「制約の中でリアルの事情に配慮しつつ書く」という行為は、自分自身の「制約の中での表現力」や「インターネット上の信頼度」を向上させてくれる、といったところだ。

 

 

 

さて、最後の理由「もがきながら発信する姿こそが人間の本質だから」について。

 

多くの啓発的な書籍やインターネット記事においては、「書きたいことも書けないなら、書ける環境を整えろ(要は『仕事なんてやめちまえ!』)」という煽りが入る。

 

しかし、ほとんどの人にとって、この煽りは現実的ではないだろう。守るべきものがあるなら、そう簡単に仕事など辞められない。

 

ただ、こういったメッセージの書かれた自己啓発書が本屋に山積みになっていることからもわかるように、「自分も自由な場所で好きなことを書けたらなぁ」なんて夢想している人は数多い。

 

僕は、こういった中途半端な姿こそ、人間の本質ではないかと思うのだ。

 

守るべきものがあり、そのために自分のやりたいことを犠牲にする。この時、「すべてを投げうってでも自分のやりたいことをやること」が、本当の自己実現なのだろうか?僕はそうは思わない。

 

「自由な発信がしたいなぁ」と思いつつも、家に帰って家族の顔を見てホッとする姿こそ、本来の人のあるべき姿だ。

 

僕は、制約の中でブログを書き続けるということを通して、「もがきながらでも、書けないことがあっても、表現できることを表現すればいいんだ」と、自分自身や、その向こう側にいるはずの同じ葛藤を抱えた人たちを勇気づけたいのだ。

 

 

 

ただし、「自分のやりたいこと」と「与えられる仕事」を近付けていくためには、「自由な表現の場」は間違いなく必要だ。

 

先ほど引用した 全てのクリエイターには「中田ヤスタカにとってのCAPSULE」が必要である という記事には、中田ヤスタカの以下のような言葉が載っている。

 

自分のやりたいことと、相手から求められていることのバランスがとれたとき、ほんとうに新しいものが生まれると思うんです。

 

僕はまだ駆け出しのペーペーであって、今は「枠の中でどう表現するか」を学ぶことで精いっぱいだが、そのうち「自分のやりたいこと」があまりにもできていないと感じたら、匿名でブログを書き始めるだろう。

 

もしもインターネットのどこかで僕っぽい文体の匿名のブログを見つけたら、「少しは自分に足りないものが見えたんだな」と、そっと見守っていただけると嬉しい。