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コミュニケーションはプランできるか?

広告会社に入社してからずっと考え続けているのが、「コミュニケーションはプランできるものなのか?」ということだ。

 

この疑問に答える前に、僕がこの疑問を抱くきっかけになった「コミュニケーション・プランニング」という言葉について説明したい。

 

  

 

昨今、広告業は「コミュニケーション・ビジネス」と呼ばれるようになってきている。生活者に「広く告げる」だけでなく、生活者と企業の「コミュニケーション」をつくりだす必要がある、との認識からであろう。一方向性から両方向性への変化、とも言えるかもしれない。

 

また、「コミュニケーション・プランニング」と呼ばれる仕事や、それを請け負う「コミュニケーション・プランナー」と呼ばれる人たちが出現してきた。これらは、上述した生活者と企業の「コミュニケーション」をつくりだす、その設計図を描く仕事であり、またその描き手である。

 

Wikipediaでは、"Communication Planning"について下記のような説明が施されている。

 

 Communication planning is the art and science of reaching target audiences using marketing communication channels such as advertising, public relations, experiences or direct mail for example. It is concerned with deciding who to target, when, with what message and how.

(筆者訳)コミュニケーション・プランニングとは、例えば、広告やPR、体験、ダイレクトメールなどのマーケティングコミュニケーションのチャネルを用いて、ターゲットとなる生活者に到達する技法のことである。コミュニケーション・プランニングは、誰をターゲットとするか、いつ、どんなメッセージを、どのように届けるかということを決定することに関連する。

Communication Planning - Wikipedia

 

まあ、わかったようなわからないような説明だし、僕も広告マンといえどまだ入社して2カ月のペーペー中のペーペーなので、「コミュニケーション・プランニング」についてのこれ以上の説明は避けたい。詳しく知りたい方は下記のサイトや書籍などを参考にされたい。

 

コミュニケーションプランニングの考え方 - ADK

 

次世代コミュニケーションプランニング - 高広伯彦

 

 

 

さて、いったい「コミュニケーション」はプラン(設計)できるものなのか?というのが僕の素朴な疑問である。言い換えれば、「コミュニケーションを設計し、その設計図どおりのよいコミュニケーションを実現することは可能なのか?」ということだ。

 

これは、上で長々と書いた「広告代理店におけるコミュニケーション・プランニング」がはたして可能なのか、という疑問ではない(入社2カ月でそんな大上段に振りかぶったことは書けるはずがない)。もっと一般的な、シンプルな問いである。

 

人の数だけコミュニケーションの形は存在するが、今回は僕の慣れ親しんださし飲みというコミュニケーションを例にとり、「コミュニケーションはプランできるか?」という疑問に答えてみたい。

 

 

 

結論から言うと、「できない」と僕は考える。

 

さし飲みにおける成功は、「今日は良いさし飲みができた」とお互いが思えることである。

 

(関連記事:良いコミュニケーションは、水のごとし。

 

ここで言う「コミュニケーションのプラン」は、飲む相手を決め、どんなテーマで話すかを決め、何時間話すかを決め、…というふうに、「さし飲みにおける成功」を目指して、理想的なコミュニケーションが進行するようにあらかじめいろいろなことを設計しておくことである。

 

そうして隅々まで計画されたさし飲みがうまくいくかというと、実はそうでもない。

 

自分が自信を持ってコミュニケーションを取れる、慣れ親しんだ人を相手に、自分と相手の共通の趣味や思い出について語り、話す時間も決めておく、というやりかたでは、「お互い気分を害することなく気楽に話した」という経験はできても、「あの人と今日飲めて本当によかった」という気分には、絶対にならない。

 

そうではなく、思いもよらない人と、全然想定していなかったテーマで、必要とあらば何時間も話し込むというのが、いいさし飲みにつながるのだ。

 

 

 

例えば、僕がとあるバイトの友人と飲んだ時のことだ。

 

彼は、とても頭がよく、また場を盛り上げるのが上手で、バイトの飲み会ではいつも輪の中心にいた。バンドを真剣にやっていて、いつも女の子とデートしている…そんなイメージの男だった。

 

一方僕は、飲み会で場を盛り上げるというのが苦手だ。人とどこまで距離感を詰めていいのかわからなくなる。高校の時も、おもしろいヤツが良いヤツだとされるスクールカースト的な人間関係に苦しんでいた。部活がなければ、学校に行けなかったかもしれないくらいに。

 

彼は、間違いなくスクールカーストの上位にいた人間だった。だから、僕は彼と楽しく話ができるか少し不安だった。

 

ただ、彼はいつでもどんな人に対しても平等だった。「ノルウェイの森」に出てくるキズキをもっとオープンにしたようなエンターテイナーだった。だからきっと、話してくれるだろうと思っていた。以下、キズキについての説明。

 

彼には場の空気をその瞬間瞬間で見きわめてそれにうまく対応していける能力があった。またそれに加えて、たいして面白くもない相手の話から面白い部分をいくつもみつけてくことができるというちょっと得がたい才能を持っていた。だから彼と話していると、 僕は自分がとても面白い人間でとても面白い人生を送っているような気になったものだった。

(ノルウェイの森、p. 48~49)

 

僕は、彼がなぜ「イケてる」人間であるにも関わらず、どんな人に対しても変わらず接していけるのかを、飲みの席で聞いた。すると、こんな答えが返ってきた。

 

「俺も昔は外見で人を判断して、自分と同じようなチャラい奴としかつるんでなかったんよ。だけど、中学の時の先生に『どんな人とも一度はきちんと話をしてみろ』と言われて、それで人それぞれ面白い部分があるって気付いたんよね」

 

彼を外見や雰囲気で判断し、さし飲みというコミュニケーションをすることがなければ、一生知ることはなかったであろう彼の内面だった。

 

この話の後は、バンドとブログの共通点、特に「自分の好きな音楽なりメッセージなりを発信し続けていると、一定の数の人からは嫌われる」ということについて盛り上がった。

 

正直、バンド活動とブログに共通点があるなど思ってもみなかった。「テーマをあらかじめ設定しない」からこそ、このような話の転がり方が生まれてくるのだ。

 

僕自身は、「とても良いさし飲みができた」と心から思ったものだった。

 

 

 

少し例が長くなってしまったが、かように「良いコミュニケーション」はなかなか設計できるものではない。

 

ただ、もし設計できる部分があるとすれば、それは「良いコミュニケーションが生まれる環境をつくる」ということかもしれない。

 

それは、さし飲みで言えば、2人で落ち着いて話せるお店を選ぶことであったり、あいづちや質問などによって相手が話しやすい雰囲気をつくることであったりするのだろう。

 

「コミュニケーションはプランできるか?」という疑問に対しては、「完全にプランすることはできないが、良いコミュニケーションが生まれる環境を整えることは可能だ」というのが、ひとまず現段階の僕の回答である。

 

これからもこの問いはずっと問い続けていくことになると思うが、いつか広告の仕事における「コミュニケーション・プランニング」について語れるような、そんな広告マンになれたらいいなと思う。