自分自身を人と比べて何が違うかと言えば、非常に強い好奇心を持っていることだと思う。
学生時代は理学部、現在は広告会社と、いずれも好奇心の強い人たちが集まる場所にいると思うのだが、その中でも自分の好奇心旺盛っぷりは少し極端だと思う。
もちろん、「好奇心がある」と言ってもその言葉が意味するところは人によって違う。
僕の「好奇心」は、「さまざまなものの原理や因果関係や結び付きを知りたがる」ということだ。
今日は、そんな好奇心を持っているとどのようなよいことがあるのかをいくつか書いてみたい。
1、話せる人の幅が広がる。
再三このブログでもテーマとして取り上げているさし飲みが象徴しているように、僕は人のことを理解するのが好きだ。
世の中には、一見自分とは絶対に話の合わなそうな、話してもくれなそうな人がたくさんいる。
だが、人は自分に興味を持ってくれる人のことは、決して邪険には扱わないものだ。
その人は、自分の仕事についてどう思っているのか、好きなアーティストのどういった点が素晴らしいと思っているのか、自分は何が苦手だと思っているのか…。
なんでもいい、その人のストーリーを「自分の経験を絡めることで」聴き出し、その人を動かしている「根本の価値観」を理解することで、自分の中で「この人はこういう人なんだな」と捉え直す。
そうすることで、人を表面的な好き嫌いや直感的な相性で判断することがなくなる。その人に何かやってもらう時や、その人が自分に対して何か言ってきた時に、その人の身になって気持ちを想像することができるのだ。
そうすれば、自分の人間性の壁を超えて、様々な人と仲良くなることができる。その人付き合いの幅の広さは、自分の財産になるはずだ。
2、仕事がうまくいく。
僕は今広告会社の1年生として日々仕事をしている。
正直、今はまだ責任のある仕事を任せてもらうことはできない。
番組の視聴率を拾ってきてエクセルにまとめたり、過去のCMを延々とキャプチャしてパワポに張り付けたり、とある広告主の雑誌の広告ページをスキャンして取り込んだり…。
これらは、典型的な「雑用」なのかもしれない。
だが、どんなに「雑用」に見える仕事であっても、それが「なぜ今のタイミングで」「どうしてこのアウトプットの形で」「誰のために」やっているのかを常に考えていると、ビジネスの全体像がおぼろげながら掴めてきて、非常におもしろい。
例えば、視聴率をエクセルにまとめるという作業からは多くのことが示唆される。
「番組の視聴率がどの程度か知りたいということは、営業の人が、その番組の前後にCMを出さないかとクライアントに提案するのだろう。営業の人がパッと見て理解できるような言葉の使い方をすべきだな」
「なぜこの番組なのだろうか。バラエティだから、ターゲットの若者が見ている可能性が高いからだろうか。同じターゲットが読んでいる雑誌には何か広告は打つのだろうか。打つとしたらこの番組と似たテイストの雑誌に、テレビCMと似た感じのクリエイティブを出すのではないか」
「エクセルにまとめるということは、後に何らかの(おそらく相加平均等の)計算を加えるということだから、(セルをすきまなく1列に並べるなど)計算のしやすいようにまとめるのがよいだろう」
などなど。
もちろん、これだけでは単なる「妄想」に終わるので、仕事を指示する上司に「自分はこう考えたのですが、本当のところはどうですか?」と確認してみる。
いかなる仕事からでも、自分の身になる重要な知識は引き出せる。同じような仕事をこなしていても、その積み重ねが自分と人との差をつくるのだ。
3、世の中に退屈しない。
僕はもともと活字が好きで、小説やビジネス、エッセイ、はてはサイエンスの本に至るまで、様々なジャンルの本を読んできた。マンガも好きだ。
その後は音楽に興味が移り、ポップスからロック、大学のサークルではクラシックと、あれこれつまみ食いして楽しんできた。
今は新しく映画を勉強している。小説や音楽といった「映像が出てこない」カテゴリーのものとは違い、映画には映画のおもしろさがあると日々痛感している。
小説、音楽、映画に共通しているのは、「系譜がある」ということだ。1つの作品は、必ず過去の別の作品に影響を受けている。それぞれの芸術のカテゴリーには、そういった系譜が植物の根のように張り巡らされていて、その根をできるだけ大きく想像していくのがとても楽しい。
もちろん、作品に自分を投影し、「ああ、昔同じようなことで泣いたなぁ」などと感じ入るのも、僕にとっては昔を省みるとても大切な時間だ。
好奇心を持って芸術作品に親しんでいると、自分は死ぬまで絶対に退屈しないことを確信できるのだ。
4、逆境や変化をプラスに捉えられる。
好奇心があるということは、与えられた環境がどのようなものであれ、その場所のことを知って順応しようとする姿勢があるということだ。
僕は、インドに渡って自分の住む予定のアパートに最初に足を踏み入れた時、すぐさま日本に帰りたくなったことを覚えている。
スラムのど真ん中で、インド人9人と住むことになっていたのは、さすがの僕にとっても青天の霹靂だった。
しかし、こんな経験ができるヤツはほとんどいない、インドの吹き溜まり生活はどんなものなのか、いっちょ体験してみようじゃないかと思いなおしたのだ。
その結果、ムンバイに集まってくるインドの若者たちとラッシー(インド的飲むヨーグルト)でさし飲みをし、インド人の価値観を自分なりに知ることができた。英語の通じないスラムの医者にかかってケツを丸出しにしたり、いろいろと表ざたにできないインド的謀略に巻き込まれたりした。
そのすべてが、僕にとっては興味深かった。
きっとこれからも、予想もつかない出来事が自分の身に起こったとしても、僕は飄々とその変化から面白みを見つけ出していけると信じている。
逆境や変化に対するしなやかな強さを、好奇心は与えてくれるのだ。
以上のように、好奇心を持つといろいろといいことがある。
とはいえ、「持て」と言われて持てるものではないことも、重々承知なのだが…。
ただ、気の合わない人と話をしなければならない時や、つまらない仕事を任された時、友人に強引に興味のないコンサートに連れてこられた時、いきなり転勤を命ぜられた時などに。
「もしかしたらここにおもしろいものがあるかもしれない」と思ってみることは、必ずあなたの人生にプラスになるはずだ。