Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

「好奇心はそれ自体存在理由を持っている」という名言が好きな人へ。

インターネット上で(特にTwitter上で)よく目にするのが、アインシュタインの次のようなセリフである。

 

The important thing is not to stop questioning. Curiosity has its own reason for existing.

大切なのは、問うのをやめないことです。好奇心は、それ自体存在理由を持っているのです。 

 

この言葉をリツイートしたりお気に入りにしたりしている人を見て、少し疑問に思うことがあったので記事を書きたい。

 

まず、読者の方と前提を共有するために、このメッセージには続きがあることをご紹介したい。

 

ウェブで検索をかけてみると、上記の続きとして下記の文章がヒットする。

 

One cannot help but be in awe when he contemplates the mysteries of eternity, of life, of the marvelous structure of reality. It is enough if one tries merely to comprehend a little of this mystery every day. Never lose a holy curiosity.

人は、無限や、生命や、現に存在している神秘的な仕組みといったものに思いを馳せる時、驚嘆せざるをえない。毎日この神秘を少しでも理解しようとただ務めるだけで十分である。神聖なる好奇心を失ってはならない。(訳はブログ筆者、参照:The Quotation Page

 

もしかすると、アインシュタインがこの言葉を発した(書いた)当時は前後にもっと長い文章だったのかもしれないが、とりあえず今検索をかけて見つけられた分は以上であった。

 

 

 

さて、僕が「ん?」と思ったのは、このアインシュタインという偉大な物理学者のメッセージを何も考えずに良いと思ってしまうことについてである。

 

「好奇心がそれ自体存在理由を持つ」というのは僕もその通りだと思う。

 

だが、このメッセージをそのまま無批判に受け入れてしまうという行為は、それ自体、このメッセージの内容をきちんと受け取っていないということに他ならない。

 

本当にこのメッセージが胸に響いたのであれば、「なぜ好奇心はそれ自体存在理由を持つと言えるのだろうか?」という疑問が、心に湧いてくるはずだからだ。

 

そういった疑問を心に抱くことそのものが、好奇心を持つということである。

 

上で触れた続きのメッセージのどこにも、その疑問への答えらしきものは書いていない。書いていないという事実がアインシュタインの意図によるものなのかよらざるものなのかは別にして(おそらく意図したものではないだろう)、自分でそれについて考えてみる必要があるのではないだろうか。

 

(ちなみに僕は、ヒトが進化してきた過程で好奇心の存在が生きていくのに有利に働いたからではないかと思う。これは、立花隆が「東大生はバカになったか」の冒頭で、ヒトとサルの祖先が森の中で暮らしていた時、何の危険があるかもわからないサバンナに出ていくことを選択したのが我々ヒトの祖先となった、だからヒトには「未知のものへの好奇心」が備わっているのだ、と書いているのと近い。)

 

 

 

世の中には、名言とされる言葉がたくさんある。その多くは、偉人によって生み出された言葉だ。

 

今日題材としたメッセージも、おそらくこれがアインシュタインという物理学の新たな概念を打ちたてた人物の言葉でなければ、共感する人は少なかったのではないかと思う。

 

それ自体は別に構わない。メッセージの説得力には、語り手の経験やバックグラウンドが強烈に影響するからだ。例えば僕がこのブログで「プロ野球選手になるためには」なんて記事を書いたって誰も読まないだろう。

 

だが、どんなに偉い人が語った言葉であっても、自分なりにその意味を噛みしめる必要はあるはずだ。

 

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」とまで言いきるアインシュタインのことだから、「なぜ好奇心に存在理由があると言えるの?」と無邪気に問うことも、きっと歓迎してくれることだろう。