Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

どこでもドアが開発されても、僕は電車で通勤するだろう。帰りだけね。

くたくたの頭を抱えて、帰りの地下鉄に乗る。

 

この瞬間が、1日で一番好きかもしれない。

 

仕事のために回していた頭が冷えていく。会社にいる間は否応なく晒され続ける、多数の視線から解放される。

 

電車の中にいる人たちはみな、僕と同じスーツ姿で、僕と同じように心地よくくたびれているように見える。

 

オフィシャルからカジュアルへの突然のスイッチではなく、グラデーションを伴ったカジュアルダウン。これがいいのだ。

 

会社用の頭や身体というのは、そう簡単にオフ用に切り替わるものではないから。

 

 

 

電車というのは、基本的にはA地点からB地点に移動するための手段として捉えられる。

 

新幹線や、現在開発が進められているリニアはその典型だ。できるだけ早く、正確な時間に、目的地に着くことがよしとされる。

 

一方で、「移動手段」だけでなく「休憩所」や「娯楽施設」としての機能を持った電車というものも存在する。

 

だが、世の中の流れとしては、「移動手段」に特化した電車が求められているようだ。それは、下記のような寝台列車引退のニュースを最近多く目にすることからもわかる。

 

トワイライトエクスプレス 来春廃止へ

 

 

 

もはや電車という乗り物は、純粋な「移動手段」としての能力を高めていくしかないのだろうか?

 

僕はそうではないと思う。

 

会社から家に帰るための電車において求められるのは、「移動手段」よりも「休憩所」である。

 

なぜなら、上にも書いたように、オンからオフに頭が切り替わるためには、一定の時間が必要だからだ。

 

激しい運動を行ったあと、しんどいからと言ってすぐに寝転がってしまうと、身体に異常をきたすことがある。しっかりと休息を取るためには、その手前に軽く走ったり歩いたりといったクールダウンの段階を取り入れる必要がある。

 

「戦闘服」を身にまとい、背筋を伸ばしてケンケンガクガクの議論をやりあっていたビジネスシーンから、羽根を休められる家に戻るまでの道すがらで、そのクールダウンができれば最高だ。

 

 

 

では、「移動手段」にとどまらない「休憩所」としての電車とはどんなものなのだろうか?

 

一つ考えられるのは、「禁止ではなく許可をする電車」である。

 

最近は、電車に乗る際に、女性しか乗ってはならないとか、携帯電話を使ってはいけないとか、とにかく何かを禁止されることが多い。

 

そうではなく、窓に絵を描いていいとか、筋トレをしていいとか、何かをしていいという許可を与えるのである。

 

ただ、先ほどから想定しているのが「クールダウン」用の電車であることを考えると、ある程度の節度は守る必要がある。電車に乗ったとたんにバキの登場人物みたいなオヤジが筋トレに励んでいたらどっと疲れがたまるだろう。

 

そこで考えるのは、カバンをどこかに片づけてしまえる電車である。

 

ビジネスバッグというのは、かさばるし重いし、かといって床に置くのはなんとなくはばかられるという代物である。また、スーツに靴にカバンというのは、ビジネスパーソンとしての三種の神器みたいなところがある。

 

その三種の神器の一つを身体から離してしまうことで、「カジュアルダウン」をはかるのである。さすがにスーツの下は脱げないし、靴も脱ぐのはめんどくさいだろう。

 

一応今でも網棚はあるが、カバンを一時預ける場所として有効利用されているとは言い難い。ドア付近に棚みたいなものを作り、乗降時に出し入れする方が効率的だ。

 

ついでに、会社のケータイとか名刺入れとかも全部一緒に預けてしまって、電車の中で小さな解放感を味わいたい。

 

 

 

と、妄想ばかり展開してしまったが、もしカバンを預けることのできる電車があれば、僕は絶対に利用する。

 

僕のアイデアはどうでもよいが、会社帰りの電車は「移動手段」よりも「休憩所」である、という認識は、多くの人が持っているのではないだろうか?

 

退社後、電車ですごすひとときは、けっこう僕にとって大切なものだったりする。

 

そういう意味では、仮にどこでもドアが開発されたとしても、僕は電車で通勤するだろう。

 

もちろんそれは、帰りだけだけど。