コミュニケーション指南の本やブログによく書かれているのが、「コミュニケーションが上手くなりたいなら、自分の話はせず相手の話を聴け」ということである。
「相手の話を聴く」ということは間違いなく大切なのだが、ひたすら相手の話にあいづちをうったり、オウム返しをしたり、相手に質問したりしてばかりでは楽しくない。それに、話している側も、よほどのナルシストでなければ「なんかめちゃくちゃしゃべらされているなぁ…」と疲れてしまう。
僕は、コミュニケーションにおいて「自分が話すこと」は「相手の話を聴くこと」と同じくらい大切だと思っている。
今日はそんな「自分が話すこと」の効用をいくつか書いてみたい。
・自分の話をすることで、相手のガードを解く。
これはよく言われることだが、自分の失敗談やコンプレックスを話すことは、相手に心を開いてもらうきっかけになる。
なんだか怖い人だと思っていた先輩が、昔やらかした大失敗のエピソードを聴いて、なんとなく親しみを感じたことは誰にでもあるだろう。
僕は就活をしていた頃、一問一答形式の面接が苦手だった。これまでほとんど言葉を交わしていない、どんな人かもわからない面接官相手に「あなたの挫折経験を教えてください」なんて言われても、どう話していいものかわからない。
面接を一問一答の形に整えると、同じ質問に対して様々な答えが返ってくるので、選抜する側からすると受験者どうしを比べやすく、合否の判定がしやすいのだろう。
それでも面接を始める前に、ほんの少しでいいから、面接官は自分の失敗談や挫折経験を話してみるべきだと思う。
その方が、受験者の素直な言葉を聴けると思うのだが、いかがだろうか。
・自分の話をすることで、相手の具体的な答えを引き出す。
原則として、人は相手と同じ抽象度を保って話をしようとする、というものがある。
例えば、「人生ってなんだろうね」といきなり相手に投げかけたとすると、相手は「辛いものだよね」とか「すぐに終わっちゃうものだよね」とか、その程度の答えしか返すことができない。
つまり、抽象度が高すぎるのだ。
ここで、「僕がインド人8人とルームシェアする中で感じたのは、インドでは「お金を稼ぐこと」がすなわち「幸せになること」であり、それが人生の目的になっている、ということ。だけど日本ではそんな人は少ない。僕は、自分がどんなことを幸せだと感じるのか、それを問い続けていくのが人生だと思う」と話しておくと、「確かに、お金を稼ぎたいという気持ちは僕の中にもないなぁ。僕は自分の人生の中で~ということをやっていきたい」と、相手が自分の具体的な話をしてくれるはずだ。
一般論ではなく、その人しか語れないことをしゃべらせるのが、良い質問というものである。しかし、そこで具体的な良い答えを引き出すためには、自分の話をするという行為が呼び水として欠かせない。
当然のことながら、自分が話しっぱなしではいけない。あくまで相手に振ることを前提に、自分のことを話すのだ。
・自分の話をすることで、共通点が見えてくる。
僕たちは、他者との共通点を見つけると嬉しくなる。
趣味や所属、あるいは故郷といった共通点は、もちろん相手と仲良くなる上で重要だ。
だけど、こういった「浅い」共通点だけでは、例えばさし飲みのような短い時間の中で、相手との距離を一気に詰めることはできない。
人と仲良くなるために一番強い力を持つ共通点は、「同じ気持ちになったことがある」というものだ。
極端な話、相手と共通の趣味などなくても、「相手の感情や気持ち」にフォーカスし、自分と同じ気持ちになった瞬間を探っていけば、絶対に相手と仲良くなれる。
そのためにはまず、自分の感情を語らなければならない。
趣味とか今の仕事のこととか出身とかに関しては、二言三言、キーワードさえ出せばいいだろう。だが自分の気持ちというものは、ある程度の長さの言葉がないと語れない(もちろん、いくら長い時間演説しても語り尽くせないものでもある)。
自分の趣味の音楽や小説について、「あれいいよね!」と共感し合うだけではつまらない。それを鑑賞して自分はどんな気持ちになったのかを語り、相手はどんな気持ちになったのかをきいてみる。
自分は小説が好きで相手は映画が好きなら、「僕はこの小説を読んだ時にこんな気持ちになったんだけど、君は映画を観て同じような気持になったことはある?」ときいてみる。
そうすることで、自分と相手がまったく違うバックグラウンドを持っていたとしても、2人は「感情」という共通点で強く結ばれるのだ。
・自分の話をするうちに、自分の話をより深く聴いてもらえるようになる。
相手のガードを解いて何でも話せる雰囲気を作り、自分の話の後に相手に話を振ることを繰り返していると、自分が話す→相手が話す、という流れができてくる。
そうなると、相手は「この話をした後で必ず自分の番が来るから、どんな話なのか注意して聴こう」と、こちらの話に興味を持ってくれるようになる。
これは、特に意識してやってきたわけではないが、「語ること」の苦手な僕がどうやったら自分の話を相手に印象付けるかを考えた結果編み出した、一つの策なのだと思う。
僕が昔人と話していてよく言われたのは、「君は話を聴いてくれるけれども、君自身がどんな人なのかはあんまりわからなかったよ」という言葉だった。
「聴き上手」と言われる人でも、僕と同じようなことを思われている人は、実は少なくないと思う。
だが、演説上手でも話術が巧みでもない僕は、「話し上手」にはなれる気がしなかった。
だから、「聴き上手」であることを利用して、相手の関心を自分に引きつけるやり方を模索したのだろう。きっと。
本当のコミュニケーション、なんてものは人と人との関係性の数だけ存在する。
だが少なくとも、それは「片方が一方的に話し、片方が一方的に聴く」というものではないはずだ。
「聴くこと」だけでなく「話すこと」についても、いろんな人が考えるようになったらいいなと思う。