Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

飛ぶように過ぎていく日々の中で思うこと。

今、会社から帰宅してこのブログを書いている。

 

時刻は22:36。

 

毎朝8:30に出勤して、半日を会社で過ごして、夜はほとんど何もする間もなく眠る。

一週間があっという間に過ぎる。サザエさん症候群になんて、なる暇がないほどに早い。

 

この前、上司に「5月病にはならなかった?」と聞かれて、そういえばもう6月だなんて思って、「全然考えもしませんでした」と答えたのが、もう半月前。

 

それでも、ただ消費するだけでなく、自分の目標とする生き方との外堀を日々埋めている手ごたえはある。

 

一言で言うと、とても楽しい。

 

 

 

会社に入って、少しは「学生時代はよかったなぁ」なんて感傷に浸るのかなと思っていた。

 

もちろん、その気になれば平日の昼間に授業を抜け出して鴨川のベンチに寝転がることのできた大学時代の自由さは、何物にも代え難い。

 

だが、今の生活の充実感は、それこそ大学の時にはなかなか味わったことのないものだった。

 

誰かのために仕事をしてお金をもらい、さらにはその仕事が自分の血肉となってくれる。そして何よりも、楽しい。

 

おそらく、そんなふうに今の生活を楽しめるのは、僕が働き始める「タイミング」がよかったのだろうと思う。

 

 

 

社会の一般的通念では、僕たちは、学校を卒業する年度の3月31日をもって学生を終え、その翌日の4月1日から社会人となる。

 

だが、人間の精神はそんなふうに「今は学生だ」「今は社会人だ」なんてスパッと切り替えられるようにできてはいない。

 

学生と呼ばれる身分であっても既に自立した精神を持っている人もいるだろうし、いくら社会人として働いていてもいつまでも学生気分が抜けない人もいるだろう。

 

さまざまな経験を通して得た覚悟のようなものがいくつか揃えば、人は「もうそろそろ学生はいいかな」と思えるようになるものだ。

 

 

 

最初はやりたくないと思っていた仕事でも、任されたら一所懸命やる覚悟。

 

 

 

第一印象はよくなかった人とも、ちゃんと話をして協力していく覚悟。

 

 

 

自分が余暇時間にやると決めたことは、いくら仕事で疲れていても続けていく覚悟。

 

 

 

一言で言えば、辛さを楽しさに変える精神。

 

 

 

それが、「社会人になる覚悟」だと思う。

 

 

 

「自分の好きなことだけやって生きていく」ことは、世の中の一つの理想的な生き方とされている。

 

だが、「今好きだと思っていることだけやる」というのは、僕からするととても偏狭な生き方だと感じる。

 

好きだと思っていないこと、好きだと思っていない人、好きだと思っていない場所、そんなものたちの中に、必ず「新しい好き」が潜んでいる。

 

会社という、ある意味自分の予想だにしないものを与えてくれるビックリ箱の中で、新しく飛んできたものを目いっぱい楽しむという姿勢こそ、社会人に必要なポジティブさではないだろうか。

 

そうした姿勢が、どうも自分にはピンとこないな…という人は、まだまだ学生をやっていたら良いと思う。「今自分が興味を持っていること」にフォーカスして、なんでもやってみたらいい。

 

辛さを楽しさに変える精神は、そうした「新しいチャレンジ」から生まれてくる。

 

どんなに楽しそうだとか好きそうだとかで始めた活動でも、必ず何かしら自分の気の進まない部分が出てくる。

 

しかし、そういった壁に体当たりし、その向こう側に抜けた時に、「やってみると楽しいものって、世の中にはたくさんあるんだ」と気付くのだ。

 

 

 

ストレートで卒業した人より2年も長く大学にいた僕が心から思うのは、気の済むまで学生でいたらいいということ。

 

場合によってはその延長戦までフルに使って、なんでもかんでもやってみたらいいということ。

 

その経験を通して得た「辛さを楽しさに変える精神」があれば、自然と「そろそろ学生はおしまいだな」と思えるようになるはずだ。