Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

SNS全盛の時代における、「嫌われたくない」感情との付き合い方。

「嫌われたくない」気持ちをどうするか、というのは、現代人の抱える大きなテーマの一つだ。

 

もちろん、人間の本質として「嫌われたくない」という感情は昔から存在していた。

 

しかし、馬が合わない人は物理的に遠ざけておけばよかった昔と違い、今はインターネット空間を空気のように満たすSNSというメディアによって、自分と他者は常に近い場所に置かれることになってしまう。それこそ、光が空間を一瞬にして伝播するように、誰かの息づかいはSNSというメディアを通して瞬く間に僕まで到達する。

 

「あいつ本当にうっとおしいな」という友人のつぶやきに自分のことではないかと不安になり、自分の投稿にいいね!がつかないと何か変なことを書いたのではないかと不安になる。

 

 

 

SNSは、人間の「嫌われたくない」という感情を浮き彫りにする。

 

「そんなに人のことを気にさせるSNSは害悪だ」という指摘もある。

 

しかし、SNSには大きなメリットもある。自分のことをいろいろな人に知ってもらえ、また、いろいろな人のことを自分が知れるというメリットだ。

 

僕はこれまで、TwitterやFACEBOOKを通じて様々な人と出会ってきた。そのうちの幾人かとは、同じ方向を見て一緒に何かをつくっていけそうだなと思っている。

 

つまり、SNSは僕に仲間をもたらしてくれるのだ。

 

そのメリットを無視して、やれFACEBOOK疲れだの、LINE疲れだのと、あたかも「SNS病」のようなものをつくりあげ、SNSを排除してしまうのはもったいない。

 

SNSによって否応なしに自覚させられてしまう「嫌われたくない」という感情と、SNS全盛のこの時代にどう付き合っていけばよいのか?この記事ではそれについて考えてみたい。

 

 

 

SNSと接触することによって生じる「嫌われたくない」という気持ちに対して、僕たちが取れる方法は3つだ。

 

1つ目は、SNSをやめること。

 

2つ目は、嫌われないようなコンテンツを投稿すること。

 

そして3つ目は、嫌われてもいいやと思えるようになること。

 

 

 

1つ目はシンプルである。そして、根本的な解決策でもある。

 

しかし、「仲間をもたらしてくれる」というSNSの威力を強く感じてしまった今の僕は、SNSをやめるということはできそうにない。

 

 

 

2つ目は対症療法に過ぎない。

 

そもそも、「誰にも嫌われないコンテンツ」というのはつくることが難しい。フレンド数が少ない時は大丈夫かもしれないが、それが増える度に、最大公約数を抽出することは加速度的に難しくなる。

 

 

 

僕が、みんながこうなれたらいいと思うのは、3つ目だ。

 

だが、「嫌われてもいいや」という悟りにも似た気持ちは、そう簡単に持てるものではない。

 

僕の経験上、先ほど書いた「仲間をもたらしてくれる」というメリットが「嫌われる」というデメリットを上回った時に、人は「嫌われてもいいや」と思えるようになる。

 

したがって、冒頭に書いた「嫌われたくないという感情とどう付き合うか」という問いに対しては、「仲間をもたらしてくれるなら、嫌われてもいいや」と思えるようになる、と答えることになる。

 

 

 

しかし、仲間をもたらしてくれると信じられるようになるまで、インターネットで発信を続けるということは極めて難しい。

 

僕はこの2年間SNSとブログを絡めてずっと自分の思ったことを発信し続けてきたが、本当にSNSが仲間をもたらしてくれると信じられるようになったのは、つい最近の話だ。

 

そこで次回の記事では、様々な人が「嫌われてもいいや」と思えるようになるのを手助けするSNSについて考えてみたい。

 

僕の知る限り、「人に嫌われてもいいや」と思えるようになることをプラットフォーム側からサポートしているSNSは、まだ存在していないから。