Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

名前をつけてやる - スピッツ / 情けない青春が詰まった、幻想的な絵本みたいな音楽。

スピッツ。

日本人ならたいていの人が、このバンドの名前くらいは知っているだろう。彼らの代表曲の1つ"空も飛べるはず"は、しばしば学校の合唱用の曲として取り上げられるほど、世の人々に浸透している。

しかし、スピッツというバンドは、「音楽の教科書に載るくらい教育的によろしいポップスバンド」では決してない。

この2ndアルバム'名前をつけてやる'は、そんなスピッツの本来の姿が存分にあらわれた、ノスタルジックな絵本のような世界。

アルバムのはしばしにかいま見えるシューゲイザーのサウンドは、草野マサムネのことばで描かれる「きみとぼく」の姿を、奇跡のように幻想的に浮かび上がらせる。

聴いていてついニヤニヤしてしまうアルバムだが、同時に、自分の過去のもう戻らない日々を思って、聴いた後に思わず頭を抱えてしまう。

僕はスピッツが大好きだが、今作は間違いなく彼らの最高傑作の1つと言える作品だ。

このレビューでは、まず、この作品がなぜこんなにノスタルジーを呼ぶのか、「シューゲイザーのサウンド」と「過去形で語られる歌詞の世界」の2つから、考えてみたい。

その後、1つ1つ曲を追っていくことにしよう。





#1 ウサギのバイク

#2 日曜日

#3 名前をつけてやる

#4 鈴虫を飼う

#5 ミーコとギター

#6 プール

#7 胸に咲いた黄色い花

#8 待ち合わせ

#9 あわ

#10 恋のうた

#11 魔女旅に出る





シューゲイザーとは、以下のような特徴を持ったロックの1ジャンルである。

フィードバック・ノイズやエフェクターなどを複雑に用いた深いディストーションをかけたギターサウンド、ミニマルなリフの繰り返し、ポップで甘いメロディーを際立たせた浮遊感のあるサウンド、囁くように歌い上げるボーカルなど(Wikipedia)

カタカナばっかでわけわからん!と思うかもしれないが、例えば下のような音楽だ。

シューゲイザーのサウンドは、ふわっとした感じや、幻想的な感じを聴く者に与える。明るいか暗いかの雰囲気は、ぱっと聴いただけでは非常にあいまいなことが多い。

明暗があいまい、というと、パンクロックやヘヴィメタルなどでよく用いられる「パワーコード」というものがある。コードとは、いくつかの音が同時に鳴らされた和音のことだが、パワーコードとは、そのいくつかの音のうち、明るいか暗いかを決める重要な音を省いて鳴らした和音のこと(専門的には、「明るいか暗いかを決める重要な音」は3度の音、それを省く行為をomit3という)。パワーコードは、力強さを出すために使われる。

しかし、シューゲイザーの「あいまいさ」は、その「力強さ」を狙ったパワーコードとは、また少し異なるように思う。

僕はバンドを本格的にやったことがないのであくまで聴く側としての感想にとどまるが、いわゆる「シューゲイザー」にカテゴライズされるバンドが使うコードは、音をomitするのではなく足したもののようだ。例えば、上で挙げたMy Bloody Valentineもそうだし、日本だとCOALTAR OF THE DEEPERSとか、ルミナスオレンジとかの使うコードも、決してシンプルだとは思われない。

したがって、コードによって「あいまいさ」が表現されているというよりは、その幾重にも重ねられたギターの轟音によって、「あいまいな、たゆたう感じ」が表現されているのではないか、と思う。



シューゲイザーのサウンドの「あいまいさ」は、聴く者に、「ここではないどこか」を思い起こさせる。

上で引用したWikipediaのページに飛べば、もともとシューゲイザーが、ドラッグによる精神の解放を音楽で表現したサイケデリック・ロックの子分みたいなものだ、ということがわかる。ドラッグは、現実からの逃避をもたらす。

つまり、シューゲイザーは、「ここではないどこか」にトリップさせるための音楽なのだ。

「ここではないどこか」とは、はたしてどこなのか。場所が変わるのか、時間が変わるのか。

サウンドだけでは決めきれないその方向性を定めるのが、ノスタルジーを感じさせる2つ目の要素、「過去形で語られる歌詞の世界」である。

つまり、「ここではないどこか」とは、過去のことである。

このアルバムでは、#3"名前をつけてやる"から#6"プール"までが、全部過去のことを語った曲になっている。

#8"待ち合わせ"なんかは、過去と現在がごちゃごちゃになっている感があるし、#9"あわ"は再び過去に逃避している印象がある。

もしも歌詞をちゃんと知らずに聴いていたとしても、このような過去の描写は、僕たちに無意識のうちに「過去のことをずっと歌っている音楽だなぁ」という印象を植え付けるはずだ。

スピッツは、'名前をつけてやる'以降も、"君と暮らせたら"とか"若葉"とか、昔のことを僕たちに思い出させて泣かせる曲をたくさんつくってきたけど、このアルバムほど、過去にどっぷり浸かった作品は無いと思われる。強いていうなら、ブレイク前後まで(つまり、'空の飛び方'前後まで。'名前をつけてやる'も、もちろん入る)は過去のことを歌った曲が多かったかな、とは思う。



さて、それでは順を追って見てみよう。



まずこのアルバム、ジャケットの歪んだ猫の写真が反則的にかわいい。

でぶいし、ぼやけてるし、・・・うーん。全然予算がかかっていないのが丸わかりな、しかしこれ以上このアルバムを捉えたアートワークはつくれないのではないかと思えるほどの、良いジャケットだ。



#1"ウサギのバイク"は、三輪テツヤの印象的なアルペジオから始まる。

この曲は、同じく初期につくられた別のある曲を思い起こさせる。名曲"アパート"だ。

"ウサギのバイク"と"アパート"は共通点が多い。アルペジオを多用したメロディアスな楽曲で、テンポもかなり近い。キーはどちらもD。Bメロ(サビ)の冒頭にはIの代わりになる短調のVImのコードを持ってきて少し雰囲気を変えているところまで同じだ。

これら個々の要素は偶然ではなくて、例えば、どちらもアルペジオが特徴的な曲だから「アルペジオの弾きやすいキーにしよう」と考えてキーをDにした、というふうに考えるべきなのだろう。

一番注目したいのはメロディ。"ウサギのバイク"は、メロディの曲中の最高音が「壊れそうな」というところで出てくる。そしてやっぱり"アパート"も、こちらはAメロでの最高音ではあるが、「壊れた季節の中で」と歌うところで最高音を持ってくる。

「壊れる」という言葉が、曲の中の一番高いところで、しかも草野マサムネの透き通ったボーカルによって歌われることで、本当にもろくやわい世界が目の前に浮かんでこないだろうか。

しかししょっぱなから「逃げ出そう」とは、たまげたなぁ…という感じである。なんというヘタレ。

#2"日曜日"は、#1と2つで1つの曲だと思う。

壊れそうなウサギのバイクに乗っていたら、いつの間にか戦車になっていたぜ、みたいな話である。

たぶん、このへんから既に「過去への旅」が始まっている。「このまま淡い記憶の花を探しながら」という言葉に、それが現れている。



アルバムタイトルを冠された#3"名前をつけてやる"。

エロい。そして、切ない。

Wikipediaには違うことが書いてあるんだけど、僕は、「名前をつけてやる」というのは、「お腹の中の赤ちゃんに、名前をつけてやるよ(=父親になってやるよ)」という意味だと思っている。

(ちなみに、Wikipediaには『草野曰く「その辺の猫や草木に名前をつけてやると強がっている曲」』という記述がある。)

なぜなら、とにかくこの曲はエロ描写が多いからだ。

「むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て」「ふくらんだシャツのボタンを ひきちぎるスキなど探しながら」

と、出会った「似たもの同士」な彼女に強烈な欲望を抱いていることを、恥ずかしげも無く告白している。

それで「できちゃった…」とか言われたんだろう。たぶん。

この曲は、"おっぱい"や"グラスホッパー"などと並ぶ、スピッツの変態ソングの傑作の1つだろう。

そして、「名前をつけてやる」といきがった主人公の想いがどうなったのかわからないまま、曲は終わる。

たぶん、ハッピーエンドじゃなかったんだろうな…。なんて、僕はそのアウトロの切ないギタープレイを聴きながら、感じた。



#4から#6までは、サウンドと曲のテーマが一体になっているのが大きな特徴。そして、初めの方にも書いたように、歌詞のほとんどが過去形で歌われている。

#4"鈴虫を飼う"では、鈴虫の鳴き声を(たぶん)ギターのトレモロという奏法で表現している。#5"ミーコとギター"は、その名の通り存在感のあるエレキギターのサウンドが特徴的な曲。そして#6"プール"は、シャーンというギターの音が、プールの水音を思わせる名曲。

ポイントは、#5"ミーコとギター"。「ミーコ」とは、「二人で幸せになりたかった」と主人公が思っている、昔の恋人か、片思いしていた女の子か。

曲中に「ミーコのうたう恋のうたもいい」とあるが、「うた」がひらがなであることから、これは間違いなく#10"恋のうた"のこと。



この#10"恋のうた"が、本アルバムでは非常に重要な曲である。

#7"胸に咲いた黄色い花"、#8"待ち合わせ"は現在の、#9"あわ"は再び過去のことを歌った曲であるが、いずれも「きみ」は主人公の目の前にいない。#7"胸に咲いた黄色い花"では一見「きみ」が「このままずっとそばにい」るように思えるが、そばにいるのはあくまで「黄色い花」=「君の心」だ。きみの身体という実体は、どこか別の場所にいる。

このアルバムでは、#2"日曜日"以降、ずっと「きみ」はどこか主人公の手の届かない場所にいた。主人公は、それをうだうだ回想してはしょんぼり落ち込んでいた。

それが、#10"恋のうた"で初めて、主人公は目の前にいる「きみ」に向けて、自分の決意を語っている。「ミーコ」が歌った「恋のうた」で。

きみと出会えたことを僕

ずっと大事にしたいから

僕がこの世に生れて来たわけにしたいから

と、主人公がここまでの過去への追憶をついに振りはらっているのだ。

きのうよりも あしたよりも

今のきみが恋しいから

どんな過去よりも、今のきみが好きだ。それがこの歌詞に表れているし、もっと言えば「恋しい」と歌うところのコードが、1回目はV7なのに対して2回目は少し不思議な感じのするVI♭を入れて強調している。よっぽど、ここのメッセージが大切なのだと思う。



今の恋人である「きみ」からしたら、「ミーコ」とかいう過去の女の子の歌った曲を自分に向けて歌うなよ、と思うかもしれない。

でも、僕は人間関係ってこういうものだと思う。

これまで誰かから受け取ってきた贈り物を、今目の前にいる人たちに返していく。'ペイ・フォワード'という映画があるけど、まさにそれだ。

今までの自分は、今まで自分と関わってくれた人たちからもらったものの集積だし、恋人だって同じこと。

それをみんな、あえて言わないだけだ。それは、今一番大切な人を、傷つけないための配慮だろう。

自分が好きになった人がいるとする。その人をそんな魅力的な人に育ててくれた経験が、きっとあったはずだ。

僕としては、そんな相手の経験も素敵だねって思いたい。



と、ヘタレな主人公が勇気を出して決意の歌を歌い、ハッピーエンドで終わるのかと思いきや、#11"魔女旅に出る"で「きみ」は「ここではないどこか」へ旅に出てしまう。

2番が終わった後、ストリングスの美しい響きの中、「きみ」は少しずつ遠くに歩いていく。そして、最後にもう一度振り返る。

ラララ 泣かないで ラララ 行かなくちゃ いつでもここにいるからね

いやいや、お前も一緒についていけよ!とか、むしろお前の好きなところに彼女連れて行けよ!とか、いろいろ異論はあるだろう。

まあ、しゃーない。

ため息をついてしまうのは、このどこまでも情けない主人公を、自分の昔の姿に重ね合わせてしまうからかもしれない。



スピッツというバンドが、ブレイク前に出した最高傑作の1つ。

情けない過去をお持ちの方におススメです。



名前をつけてやる

名前をつけてやる