Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

The Bends - Radiohead / 「普通の人」になりたいという願望に苦しむ、すべての「変わり者」への応援歌。

ロックでやれることは、もうあらかたやり尽くされてしまった…。そんな世紀末感の漂う1990年代に彗星のように現れた、Radioheadの2ndアルバム。

1stアルバムで見せたトリプルギターのアンサンブルの、ひとつの完成形を提示する名作である。



the bendsは「潜水病」という意味らしい。

潜水病(正しくは、「減圧症」)とは、スキューバダイビングにおいて、海に潜ると生じる圧力によって血液の中に押し込められ溶けていた窒素ガスが、海面に浮上する際に気体に戻り、血管などをふさぐ障害である。

僕は大学でスキューバダイビングをやっていたのだが、「浮上する時は、できるだけゆっくりするように」と、先輩方から教わったものだ。

しかし、まさかRadioheadが潜水病についての音楽を作るためにアルバムを1つ割いたと考える人はいないだろう。

「潜水病」は、間違いなく何かの暗喩である。

では、何の暗喩だろうか?

僕はそれを、「人間社会への閉塞感」だと考える。

「息がつまった、閉塞した」状態を、潜水病の、窒素が血管をふさぎ、全身を痛めつける様子になぞらえたのだろう。



'The Bends'の「人間社会への閉塞感」というメッセージを理解するためには、まず1stアルバム'Pablo Honey'を聴く必要がある。

彼らはこの頃から「俺は特別なんかじゃない、腐ったダメなヤツだ」ということを再三歌っている。

それがよく表れているのが、代表曲"Creep"。

サビの少し前、それまでのアコースティック調の淡々とした進行に、轟音のエレキギターが、きっちり2拍と半拍ずつ間をあけて、鮮やかに切り込んでくる。

But I am a creep

I am a weirdo

What the hell am I doing here

I don't belong here

「だけど俺はウジ虫だ。

変わり者さ。

くそ、ここで何をしてるんだ。

ここは俺が居る場所じゃないのに。」

特別だと思える女の子と出会ったものの、自分は彼女にふさわしい特別な人間などではない、ただの変人だ、と、自分の中に閉じこもってしまう。

"Creep"は、簡単に言えばそんな曲。

'Pablo Honey'には他にも、「ぼやいてないで、もっと大きな声を出せよ」と自分に言い聞かせる"Stop Whispering"や、「誰でもギターなんて弾ける(その程度のことさ)」と特別な存在でない自分のことを歌った"Anyone Can Play Guitar"など、「俺はダメだ」というメッセージを思わせる楽曲が数多い。



また、'Pablo Honey'の頃は、特に3rd'OK Computer'以降の無機的なサウンドからは想像もできないような、頼りない(よく言えば人間味のある)サウンドが多い。

なよなよしたサウンドも含めて、「俺は何もできない変わり者だ」と途方に暮れている雰囲気を強く感じるのが、1st'Pablo Honey'である。



そんなデビュー時の「俺はダメなやつだ」という自己否定のメッセージからは、2つの隠れたメッセージを読み取れる。

1つは、「他のヤツみたいに、人並みになれたら」という、「普通の人でありたい」という願望である。

彼らの楽曲にはWeirdo(変わり者)という単語がよく出現するが、これは「変わり者」の反対である「普通の人」への強い憧れを表していると思う。

また、"Creep"のサビの最後の部分、[I don't belong here]というのは、仲間たちが騒いでいる横で1人、輪に入れずじっと立ちすくんでいる様子が目に浮かぶ。

もう1つは、「変わり者をとことん突き詰めた、特別な存在でありたい」という願望である。

これは、例えば[I wish I was special]という"Creep"の悲痛な叫びを聴けば、よくわかるだろう。

1つ目のメッセージが、「変わり者」を否定して「普通の人」の仲間入りをしたい、という願望だとすれば、2つ目は「変わり者」の究極の形を体現してやる、という決意だと言えるだろう。



さて、'The Bends'は、そんな「普通の人」と「変わり者」の狭間でもがき苦しむ人の物語だと僕は思う。

普通の人の仲間になりたいけれども、普通の人たちの気持ちがどうしても自分にはわからない。だからと言って、「変わり者」を貫く勇気もない。それでも、それでも生きていていいのか…。

そんな行き詰った感情こそが、冒頭で述べた「人間社会への閉塞感」である。

そして、その行き場のない感情が、ギターの奏でる鮮烈な「歌」となって、アルバムの至るところを埋め尽くしている。

このアルバムにはずいぶん明るい曲が多い。歌詞など一切読まずに聴けば、このギタープレイも、楽しく朗らかに感じるかもしれない。

しかし、「人間社会への閉塞感」という解釈をふまえれば、このサウンドをのんきに楽しく聴くことなどできない。

鮮烈なサウンドは悩み苦しむ人間の悲痛な叫びそのものであり、耳に痛いと感じるほどだ。

僕はこのアルバムを聴いて、太宰治の「人間失格」を思った。

「人間失格」では、冒頭の独白で、「普通の人の気持ちがわからない」という主人公が、家族や仲間に対して道化の役を引き受けることで、自分の特異性を他の人に悟らせないように過ごしていた、ということを述べている。

'The Bends'における長調の明るいサウンドは、「人間失格」の道化と同じようなものかもしれない(明るい、ということと、笑い、ということは、近い位置にある)。つまり、「普通の、楽しい音楽」であることを装いつつも、内面では血を吐くような思いをしているのである。

そして、このアルバム中では明示されてはいないが(#3"High and Dry"の[You're turning into something you are not]などから見え隠れはしている) 、結局彼らは、「変わり者でい続け、specialな存在になってやる」という決意をする。

次作'OK Computer'以降、Radioheadが前衛的かつ挑戦的な音楽を作り続けているのが、その決意の何よりの証である。



'The Bends'で描かれている、「普通の人でありたい」という気持ちは、僕には痛いほどわかる。

飲み会ではっちゃけたり、友達数人でいつもどこかに出かけたり…そういった、一般的に「楽しい」とされることに憧れつつも、どうしてもニガテだと感じてしまう。僕は、そんな自分が情けなくて、辛いと思ったことがたくさんある。

Facebookもニガテだ。いつも楽しいこと、ポジティブなことをしていないといけないような気持ちになってしまう。人間には、悲しみや怒りといったネガティブな感情もあるはずなのに、それらを表現してはいけないような気になってしまう。

あるいは、こんなふうにブログで何か書いて発信するということに対して、誰かの感情を害しやしないか、もしくは誰にも読んでもらえないんじゃないか、そんな心配を抱いてしまう。

1人で好きなことをやっていたいくせに、「あいつは変わり者だ」と言われたくない。そんな小市民的な心配をしてしまうのだ。

だから僕は、この'The Bends'を聴いて、救われるのだ。

そして、「普通の人」になれないのなら、「変わり者」でもいい。すごいやつには一生なれないだろうけど、胸を張って「ちっぽけな変わり者」をやり続ければいいんだ、と思えたのである。





#1 Planet Telex

#2 The Bends

#3 High and Dry

#4 Fake Plastic Trees

#5 Bones

#6 (Nice Dream)

#7 Just

#8 My Iron Lung

#9 Bullet Proof - I Wish I Was

#10 Black Star

#11 Sulk

#12 Street Spirit (Fade Out)




今回は、だいたい上に書いたことで語りつくしてしまったので、表題曲の#2"The Bends"のみにつき詳しく書くことにする。



But who are my real friends?

Have they all got the bends?

「だけど、俺の本当の友達は誰だよ?

あいつらもみんな、俺みたいに苦しんだことがあるのかい?」

We don't have any real friends, no, no, no

「俺たちには、本当の友達なんていないんだ。そうさ」

他のヤツらは、あんなに楽しそうにしているのに…こんなに苦しいのは、俺だけなんだろうか。そんな苦悩が、歌詞から透けて見える。

I wanna be part of the human race

「俺も人類の一員になりたいんだ…」

かきならされるギター。言葉にならない、アーという叫び。そして、苦しそうなThom Yorkeの告白。

「普通の人になりたい」という気持ちを、これほどまでにひしひしと感じる曲はない。



このアルバムには「コミュニケーションできない相手」という表現や比喩が、随所に見られる。

[Everyone is broken]("Planet Telex")、[you will the one who cannot talk]("High and Dry")、[She lives with a broken man/A cracked polystyrene man]("Fake Plastic Trees")、[This machine will, will not communicate]("Street Spirit")…。

コミュニケーションをとるのに、(どちらの考えてることも俺にはわからない、という意味で)人もコンピュータも大して変わらない、ということを言っているようにも思える。

僕たちは、人と話していても相手が何を考えているのかの本当のところを、自分の心で感じることはできない。その人が「楽しい」とか「腹が立つ」と言ったとしても、その楽しさや怒りを自分のものとして考えることは絶対にできない。ただ想像して、せいぜい「自分にとっての」楽しさや怒りという範囲で、体験することしかできない。いわゆる哲学的ゾンビにつながる問題である。

そういった「気持ちを通じ合わせることのできない相手」についての淡々とした描写が、「窒息しそうになる自分の心の叫び」を表現したギターの音を、いっそう際立たせている。



"The Bends"で歌った「普通の人になりたい」という切実な願望(もちろん他の曲もよく聴けば、そういうメッセージを読み取ることができる)。

そして、アルバム全体に散りばめられた「相手のことがわからない」という苦悩。

これをもって、「普通の人になりたいけれども、あいつらのことが全然わからない」という解釈が成り立つ。



しかし、彼らが「他のやつらのことがどうしてもわからない」と歌った苦悩は、僕に確かに届いた。

他人のことは、僕たちはわからないけれども、ふと、わかりあえたと信じられる瞬間もある。

僕にとってそれは、音楽や小説にどうしようもなく感じ入ってしまう時だ。

そしてあなたにも、このメッセージをぜひキャッチしてほしい。

「コミュニケーションは存在する」ということを、自らの耳で確かめてほしいのだ。



The Bends

The Bends