「なぜ勉強するのか」ということに対するメリットは、子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明で見事に述べられているわけだが、これらはあくまで実利的なメリット。
実利的なメリットに対して、精神的とでもいえるメリットがある。
それは、あなたに目に見える形で利益をもたらしはしないかもしれないが、絶対にあなたの人生の満足度を向上させてくれるメリットだ。
そのメリットとは、「学んだことを正解にする練習になる」というものである。
もくじ
1. 勉強とは、学ぶ前から何を学ぶことができるか、わからないもの。
2. 勉強で身に付くのは、未知へのジャンプ力である。
3. 人生とは、経験する前から何を経験することができるか、わからないもの。
4. 未知へのジャンプ力で新しいことに飛び込み、選んだ道を正解にできる。
1, 勉強とは、学ぶ前から何を学ぶことができるか、わからないもの。
そもそも勉強とは、それが与えられる前から、そこから何を得られるかを予言することができない性質のものだ。
内田樹氏の著書「下流志向」では、母国語の習得を例にとって、このことを説明している。
母語の習得を、私たちは母語をまだ知らない段階から開始します。生まれるとすぐに、場合によっては胎内にいるときにすでに、母や父は子どもに話しかけます。そして、子どもは話しかけられてくる言葉を通じて、母語を学習します。私たちは現にそうやって日本語を習得したわけですけれど、母語の学習を始めたときには、これから何を学ぶかということを知らなかった。これがたいせつなところです。(中略)
つまり、起源的な意味での学びというのは、自分が何を学んでいるのかを知らず、それが何の価値や意味や有用性をもつものであるかも言えないというところから始まるものなのです。
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
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これは、本当によくわかる。
物ごころついたら、小学校に通っていた。そのうち中学校に入って、高校に入って、大学に入った。
大学受験の時すら、小学校の時と、勉強にむかうマインドはそう大差なかった。海洋学者になりたいと漠然と思ってはいたけど、それが日々の勉強と紐付いていたかというと、あやしい。
それが良いのか悪いのかはわからないけど、多くの高校生は、そんなものじゃないだろうか。
2, 勉強で身に付くのは、未知へのジャンプ力である。
ただ、大学受験をはじめとして、勉強をがんばった記憶はある。
必死に勉強していると、見える世界が広がっていく。
英語を学ばなければ、インドで1年間のインターンを経験することはできなかった。
数学を学ばなければ、広告会社で統計を使ってアレコレ分析する部署を希望することはできなかった。
物理・化学・生物・地学を学ばなければ(そしてもちろん、国語をやっていなければ)、ハックスリーや池澤夏樹の小説に今の10分の1も感動することはできなかった。
しかし、僕がこれまで勉強をしてきたのは、インドに行こうと思ったからでも、広告会社に入りたいと思ったからでも、楽しく小説を読みたいと思ったからでもない。そんなのは、後づけの楽しみだ。
ただ必死に目の前のハードルを超えてゆく。
そして、勉強する前には見えていなかった領域に、どうやらおもしろそうなものが無数に転がっているようだと、後になって気付く。
それを何度も繰り返しているうちに、知らないことを知ってみると、おもしろいことがある、と信じられるようになる。
それが、「未知へのジャンプ力」だ。
3, 人生とは、経験する前から何を経験することができるか、わからないもの。
さて、このブログでは再三書いており、いつも読んでくれている方にはもう聞き飽きた言葉かもしれないが、人は、何かを経験する前に、そこで何を経験することができるかを予言することはできない。
フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの鋭い言葉がある。
湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
「目に映るのは過去の風景ばかり 明日の景色は誰も知らない」という言葉にあてはまるような経験として、とくに学生の僕にとって身近だったのは、海外での長期滞在や、アルバイトやインターンなどの就労体験だった。
それについては、以下のような記事を書いてきた。
「インターンの方が成長できる」という洗脳から、きみはそろそろ目覚めた方がいい。
結局「やる前にあれこれ考えて臆病になってもしかたない。とりあえずやってみればいい」ということを、僕は繰り返してきたわけだ。
4, 未知へのジャンプ力で新しいことに飛び込み、選んだ道を正解にできる。
勉強と人生での新しい経験(留学や、就職や、結婚や…その他もろもろのこと)との唯一の違いは、前者はものごころのついていない子どもの頃に始まるものであり、後者はある程度のアイデンティティが形成されてから行うものである、という点。前者は受動的、後者は自覚的、と言ってもいい。
もっというと、人生で新しいことを経験する時においては、怖いとか、先にどういう結果になるのか教えてくれとか、そういう感情を抱くはずだ。
これは、勉強を始めた時には、抱かなかった感情だ。生まれる時は怖いなんて思わなかったけれども、死ぬのは怖いと思うのと同じかもしれない。
だからこそ、子どもの時に培った「未知へのジャンプ力」が大切になる。
ものごころつかないうちに勝手に巻き込まれていた「勉強」で培った、「未知へのジャンプ力」が。
「未知へのジャンプ力」とは、具体的には以下のような力だ。
a) 未来の自分に時間を託す、自分を信じる力。
b) 経験したことの良い面を捉える、肯定的な考え方。
c) そのつど経験から影響を受け変化していく、柔軟性。
a)は、勉強をして学んだことから、必ず楽しいことを取りだせるという、自分への自信。
b)は、勉強をして学んだことから、どれとどれをかけ合わせるとおもしろいかを考える、物事の良い側面を見ようとする姿勢。
c)は、勉強をして学んだことから、正しいと感じるものがあれば過去に囚われない、柔軟な態度。
僕は、勉強を通して身につけた「未知へのジャンプ力」のおかげで、これまでたくさんの経験を積むことができた。
そして、「自分の選んだ道を正解にする」ことができていると確信している。
これからも、新しいことに手を出し続けて、それを自分のものにしていけると信じている。
もし僕に子どもができて、「どうして勉強するの?」と聞かれたら、答えてあげたい。
「勉強は、学んだことを正解にする練習だよ」と。
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