Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

「成長したい」という言葉は早めにゴミ箱に捨てた方がいい

昔、僕は大阪のとある小さなIT企業でインターンしていた。

そのインターンのプログラムを通して、いろいろな企業でインターンをしている関西の学生たちと触れ合う機会があって、そこではよく「成長したい」という言葉を耳にした。

自分を成長させたい。成長したい。「自分が成長できるところに行きたいんです!」というのは、就職活動なんかで特によく聞くセリフかもしれない。



「成長」という言葉を調べてみる。

せい‐ちょう【成長】[名](スル)

1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が―する」「ひなが―する」「経験が人を―させる」

2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が―する」「経済の高度―」

(goo辞書)

「自分を成長させたい」というのは、もちろん1の意味である。「人や動植物が育って大きくなること」というのは、肉体的・精神的な成長の両方を含んでいるのだろう。

そして、人が「成長したい」と言う時は、決まって精神的な成長を指す。人間的な成長、とでも言うのだろうか。



もともと大ざっぱな感じで使われている「成長」という言葉だけど、少なくとも僕は、何かに取り組む時にやたら「成長したい」を連呼するのはよろしくないと思っている。理由は二つある。

一つは、何のどういう分野において成長したいのかよくわからないことが多く、単に「人間的な成長」を目指しているのであれば、失礼ながらそれは「老化」と大差ないから。

もう一つは、成長したいのはその人の勝手で、他人から見て成果が出ていないのであれば、「成長したいんです!」なんて言葉は迷惑でしかないから。



まず一つ目。

「成長したい」と言う時、だいたいの場合「〜の分野で」「〜ができるように」という言葉が欠けている。上でも書いたけど、「人間的な成長」を目指している場合が多いからだ。

もともと「成長する」というのは自動詞的意味合いが強い言葉で、何か目的を持って成長するというより、後から見た結果何かができるようになっていた、というニュアンスが強い。

英語でも、grow up to 〜「成長して〜になる」という定型表現がある。このtoは「結果のto不定詞」と呼ばれるもので、あくまで結果的にそうなった、というニュアンスがある。

He grew up to be a notorious gang.

(彼は成長して悪名高いギャングになった。)

The old man awoke to find that the top of Mt. Fuji covered with snow.

(その老人が目を覚ますと、富士山の頂は雪に覆われていた。)

このような例文では、growやawakeといった動詞は「無意志動詞」と呼ばれ、その動詞による行為は主語の意志とは関係がないとされる。一つ目の例では彼の意志とは関係なく年月とともに彼は成長するし、二つ目の例でも目が覚めるタイミングというのは老人の意志とは無関係だ。

(参考:結果のto不定詞/桃介の英語学習

上は英語の例だけど、日本語と「成長する」という言葉のニュアンスは似ていないだろうか?

何かに取り組む時に成し遂げたいことがあるなら「達成する」という言葉を使うべきだろう。とりあえず「成長します!」と言うのでは説得力がまったくない。

また、もしも「なんとなくの人間的な成長」というニュアンスでこの言葉を使うなら、そこで言われる「成長」というのは「老化」と同じ意味であることを頭に入れておいた方がよい。

人間、年齢を重ねるごとに「視野が広くなり」「深く思考できるようになり」「周りの人の存在のありがたみに感謝し」生きることができるようになってくる。中学とか高校の時の自分と比べてみたら一目瞭然だ。それは別に「成長するんだ!!」などと意気込まなくても、自然にできるようになることだ。

年齢とともに人は成長する。あるいは、老化する。意味は同じだ。そりゃあ成長すると書いた方が感じはいいかもしれないけど、30歳とか40歳を過ぎても「僕は成長したいんです」って言ってる人は気持ち悪い。それは「老化」と同じ意味であるということを、さっさと知るべきだ。



次に二つ目。

冒頭で述べたように、僕を含めた多くの学生が「圧倒的に成長()したいんです!!」って言ってどこかの企業の長期インターンに取り組んでいたわけなんだけど、そのインターン生が成長しようがしまいが、その企業の顧客には関係がない。

もちろん、具体的な業務に貢献できるくらい「成長した」学生によって顧客に価値がもたらされることはあるだろうけど、それはあくまで結果の話。

企業の目的は、顧客を創造すること。顧客に価値を提供することだ。だから順番としては、顧客に価値を提供できるようがんばっていた→知らず知らず(何かしらの面で)成長していた、という順番になるべきなのだ。



上司や先輩から「お前も成長したなぁ」と言われたり、自分で自分を振り返って「成長したよ、うん」と言ったりするのは違和感がないのに、未来形で「成長したいんです」って言うと違和感を覚えるのはこのためだ。

あくまで成長っていうのは結果的にもたらされるもの。目指すべきものではないのだ。

僕は今インドの企業でインターンをしている。顧客はすべて、日系企業の駐在員の方々だ。「インドでインターンするなんて良い経験だよね」と言っていただくこともあるが、「成長したい」とか「良い経験になる」とかいう言葉を連呼したところで、顧客に価値など提供できない。現に僕はこちらに来てから自分の仕事のできなさにうんざりしてばかりだし、「顧客にとって、僕がこのポジションにいる意味ってなんだろう?」と自問してばかりだ。今のところ、価値が提供できているとは到底言えない。そんな自分が「成長してる」とか「これも良い経験だ」とかいう言葉を吐くのは、単なる甘えだ。

金銭をもらってサービスを提供している以上、自分の成長など悠長に考える暇はない。考えるのは、どうやったら顧客に満足のいくサービスが提供できるのかだけだ。

またこれは、企業で働く時のみならず、学生団体やサークルに取り組む時も同じだろう。イベントや発表会といった場において、僕らは必ず自分の属している団体外の人たちと関わることになる。せっかく来てくれている人に対して、完全に内輪ノリ、オナニー的な場を作ることは、控え目に言って無礼だと思う。



結論としては、「成長」という言葉はゴールではなく、自分のやってきたことを振り返った時に置かれるべきものだ。

逆説的だけど、「成長したいんです」と言い続けている間は、決して抜きんでることはできないだろう。

自分が必死になって顧客の満足や周囲の期待を満たしていく。その中で自然ともたらされるのが「成長」というものだ。

内部まで光が届かない過酷な環境の熱帯雨林において、一本の樹がたくましく枝を伸ばし幹を太くして成長するように。



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