Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

自分のダメな部分を直すばっかじゃ、人生つまらないんじゃない?

というわけで、今日は「自分の弱いところを平均点まで持ってくるより、強いところをもっと強くした方がいいんじゃないでしょうか」っていう話です。



昔、戦略コンサルタントに憧れていた時期があった。

昔と言っても2012卒向けの夏のインターン選考のあたりだったから、めちゃくちゃ遠い過去の話でもない。

コンサルという職業のことを知ったのは大学1年の頃だった。それまでは小説とサイエンス寄りのノンフィクション(ブルーバックスとか)しか読んでなかったのだけれども、このままでは世間知らずに終わってしまいそうだとなんとなく思って手に取ったのが、現在「My News Japan」を運営する渡邉正裕氏の著書「やりがいある仕事を市場原理の中で実現する!」だった。

それからは自己啓発やビジネスの本にもけっこう手を出してみるようになった。これらのジャンルは人によって好き嫌いが大きくわかれると思うけど、僕は読んでみて損はないと思う。「人を動かす」も「7つの習慣」も、生きていく上で大切なことをうまく凝縮して書いていると思うし、「企業参謀」も「マネジメント」も、バイトなどで一従業員として働く際にお店の仕組みをあれこれ考えてみるきっかけになった。

7つの習慣―成功には原則があった!

7つの習慣―成功には原則があった!

  • 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 1996/12
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企業参謀 (講談社文庫)

企業参謀 (講談社文庫)

とりわけ大前研一氏の本はおもしろかった。企業参謀以外にもいくつか著書を読んだのだけど、世の中で起こっているいくつかの現象の根本にあるものは何か仮説を立て、その仮説が正しいのか検証していく。これはサイエンスの研究にも通じる話で、世界がどんどん秩序だって見えてくるのに僕は興奮した。

そしていつしか、「僕も戦略コンサルタントになりたい」と思うようになるわけである。

それなりに志望動機もあったけれど、まあ、それは割愛する。



結局、僕は2012卒対象の本選考を受けなかったから、自分がコンサルになれたかどうかはわからない。

だけどたぶんうまくいかなかったと思う。なぜなら、僕は物事をぱっぱっと整理してそこに秩序だった何かを見出すのが、そんなに得意ではないからである。

コンサルや金融、それから一部のIT企業に興味がある人なら知っているだろうけど、これらの業界の面接では「フェルミ推定」と呼ばれる課題が課されることがある。

フェルミ推定というのは、「一日の間にスターバックスに来店する人の数を求めよ」みたいな、ほとんどの人がその解を知らないような問いに対し、論理的に答えを出すというものである(論理的にというのは、人を納得させられるような方法でという意味)。

この問題であれば、まずどこにあるスタバなのかということを定義する。都心に近い店舗であればそれなりに人も来るだろう。敷地の大きさも勝手に仮定して決める。

次に、平日か休日かを決めた上で、仮定した場所の人通りに応じて、時間帯別に来客数を考える。平日、オフィス街にある店なら、お昼時に人が多くなるかもしれない。大学の近くにある店なら、夕方から夜にかけて人が多くなるかもしれない。

フェルミ推定において、答えが現実の値と比べてどれだけ正確かはあまり重要ではない。どうやってその答えを出したか、その考え方が問われる。

で、就活をしていた頃にコンサルに内定した人たちともちょくちょく話をしたのだけれど、みんなインプットからアウトプットまでの時間が早い。雑談しててもどんどん話が出てくる。もちろん、こっちの話を聞いていないというわけではなく、こっちが1と言うとそれに対して10の反応が出てくる感じなのだ。たぶんフェルミ推定をやらせたら、どんどん論を組み立てていけるんだろうなと思うほどに。

(当然、すべてのコンサル内定者と話をしたわけではないよ、という言い訳は、一応付け加えておく。)

いわゆる「頭の回転が早い」というのは、まあいろいろな要素が含まれているのだろうけど、一つには、インプットからアウトプットに至るまでの時間が短い、ということが言えると思う。

逆に僕はそれが苦手で、じっくり考える方が好きなタイプ。何か問いがあってそれをぱっぱっと整理して…っていうのが苦手なのだ。



今思うと、僕は「自分に無いもので、かつ自分にとって価値があると思えるもの」を目指してみることが多かった。

戦略コンサルタントというのもその一つだし、高校時代に目指していた「研究者」というのも、「自分に無いもので、かつ自分にとって価値があると思えるもの」に分類されるように思う。

研究者は、とにかく一つの分野、一つの対象を選んで、それをとことん掘り下げていく。そのテーマについての専門家だ。僕に海のおもしろさを教えてくれた海洋学者のジャック・モイヤー氏みたいに、「俺はこの道を究める」という姿が本当にかっこいいと思っていた。

ただ、自分にとって、一つのものを究めるというスペシャリスト的な生き方は、あまり合っていない。って、今だから言えることだけど、当時は自分の適性なんて全然考えてなかったから、大学受験の願書はスペシャリスト的な色合いの濃い琉球大学の海洋生物科学科なんてところに出したりしていた。京大の理学部はそれに比べればかなりゼネラルな方だけど(専門を決めるのが3年)、それでも入学した頃は霊長類学の道に進みたいと思っていたし、その頃はスペシャリストになろうと思っていたのだ。

いろいろな経緯を経て、自分は一つのものを究めるより、いろんなものを知る方が好きだ、スペシャリストではなくゼネラリスト的な生き方が向いているということに気付くんだけどね。



まだまだ22歳の未熟な僕が言うのもなんだけど、若いうちはこういったミスマッチが起こりやすいように思う。

つまり、「自分に無いもので、かつ自分にとって価値があると思えるもの」を、どうしても追い求めてしまうということ。弱点を補強するという観点に立ちやすい、とも言えるかもしれない。

なぜ若いとこのようなミスマッチが起こってしまうのかについて、理由はいくつかあると思うんだけど、主に1自分の得手不得手があまりわかっていない、2人は自分に無いものを追いかけてしまいやすい、3人生がほぼ無限に続くように思っている、4多くの人が経験するとあるシステムの中では、突出した人間よりバランスの取れた人間が良しとされる、の4つかなぁ、と思う。



1、自分の得手不得手があまりわかっていない。

自分は何が得意で何が苦手か、こうした問いは、簡単に見えて意外と答えるのが難しい。実際にそれをやってみたことがなければ、それが得意かどうかはわからないものだ。だから、経験の浅い時には、あんまり自分が得意でなかったりすることに血道をあげてしまうかもしれない。ちょっとやってみれば、自分がそれに向いているかどうかはなんとなくわかるはずだ。だから、これは経験とともに解消される問題だと思う。

2、人は自分に無いものを追いかけてしまいやすい。

自分にできないことができる人って、憧れる。人はどうしても、自分にできることは低く、できないことは高く見積もってしまいがちだ。生物学的にも、生物はできるだけ自分の遺伝子から遠い遺伝子のセットを持つ同種の個体に惹かれると言われている(これはあくまで繁殖の場合の話だけど)。これも最終的には「やってみてもなかなか憧れの人のようにはなれなかった」っていう結果を通じて、「これは自分にはできないことなんだな」ってわかってくると思う。

3、人生がほぼ無限に続くように思っている。

人生が無限なら、どんなことに注力したってかまわないのだけど、僕らはいつか必ず死ぬ。まあ、自分の人生が有限であるということを実感するのは難しいと思うけど、僕の場合はインドに来てそれを実感した。世界に国は200弱ある。インドで過ごしたように1年ずつ他の国でも暮らすと、ほぼ間違いなく半分も行かないうちに死を迎えるだろう。いろんな経験を積んで横の広がりを知ると、今度は縦の深さ(自分の人生の残り時間)がなんとなくわかってくる気がする。同じように、あれもこれも勉強して、その進捗状況と人生の残り時間が刻一刻と少なくなっていくのを見比べれば、あえて自分の苦手分野を補強しようとは思わなくなるはずだ。

4、突出した人間よりバランスの取れた人間が良しとされる。

中学や高校の内申点の仕組みじゃどんなによくできるヤツでも5以上は取れない(0とかマイナスも取れない)。受験でも100点や200点など、決められた上限より多く点を取ることはできない。逆にすべて平均点で揃えれば、たいていの試験は通る。就活でも、とんがったヤツよりもバランスの良いヤツの方が重視されるように思う(あくまで感覚的な感想)。あなたの強みは何かという質問と同じかそれ以上に弱みについて聞かれる。弱みをどう克服するかも述べなきゃならない。これは自分の中で「俺は俺でいいんだ」って開き直ることができるまで尾を引くんじゃないだろうか。誰かに評価される仕組みにどっぷり浸かってしまうと、抜け出すことは難しいかもしれない。

このように考えると、「自分の弱点を補強しようと思ってしまう」という現象は、最後の4の項目の「開き直ることができるかどうか」を別にすれば、主に経験が少ないということから起因しているのだと思う。

だから、とりあえずいろいろ経験してみる、というのが、回り道には見えるけれども、このミスマッチを解消するための唯一の方法かもしれない。

(経験しなくても自分は何が得意で何が苦手かわかっている賢い人は、僕から何か言えることはないです…。)



「弱点を強化しようとしてもロクなことがない」というのは、実際に「どうロクなことがないか」を経験してみないと、わからないだろう。

それでも、そうやっていろいろ経験してみた人間から一言言わせてもらう。

絶対に「弱点を捨てて強みに注目した方が良い」。だって、そうやって生きた方が楽しいから。

この人はすごいなーって思える人に出会って、自分もがんばろうって思う。そこまではいい。だけど、その「憧れの人」が持っている素晴らしい部分が、もし自分の得意な(あるいは得意になれる、素質のある)部分でなかったら?きっと永遠に追いつけないし、せいぜい憧れの人の劣化版で終わってしまうだろう。

能力だけじゃなく性格についても、これは言える。

リアルで面識のある人ならわかると思うけど、僕はもともとインドア派な人間だ。サークルの仲間でどこかに行ってわいわい騒ぐよりは、一人で家にこもって本とか漫画を読んだり、好きなバンドの気持ちいいなって思うコードをかき鳴らしていたりする方が好きだ。むしろ、一人になれる時間を心待ちにしている部分があって、そこに突然友達から誘いがあったとしたら、内容とか相手にもよるけど喜んでついていくことは少ない。リア充気質ではないのだ。

(少人数で話したり何かしたりするのは好きだ。人と何かをするなら、少人数であればあるほど楽しいと感じる。そういう意味でも、さし飲み対談というのは僕にとても向いている企画だと思う。)

そんな僕が、就活でいわゆる「リア充」的な人たちとたくさん会って、「この人たちはすごいな。自分もSNSで友達とこまめに連絡取ったり、フットワーク軽くいろんなところに首を突っ込んだりしてみよう」と思うようになった。そういう行為自体、そして、自分を変えようと思うことは、紛れもなく「良いこと」だろう。

でも、やっぱり自分には向いていないことがあるのだ。無理やりやったって、楽しくない。めんどくさい。

そして僕は、一度やってみて向いてないと思うことを無理に続けるのは止めた。

代わりに、自分が好きなこと、得意なことをやろうと思った。

個人的なブログを「需要を考えて、ウケそうなテーマで」書くのは止めた。代わりに自分が書きたいことを書くようにした。自分がなんとなく感じている違和感を、なんとかして言葉にするという作業は、少なくとも自分自身を救ってくれた。

自分のウェブサイトで、「世の中をこう変えよう」と訴えるのは止めた。僕には世の中や人を変えたい気持ちなどまったく無い。その代わり、誰の話も僕はおもしろいと思う、あなたは変わらなくていいんだっていう個人的なメッセージを、静かに示していきたい。

僕はやっぱりバンドが好きだ。クラシックギター部の部長までやっておきながら、やっぱりそれは変わらなかった。帰国したら、僕といつも好きなバンドの話をしてくれる友人たちと、今度はバンドという形で音楽を作ってみたいと思う。

語学が得意で数学や物理は苦手。昔は数学や物理もできなくちゃだめだと思っていたし、勉強もちょこちょこしていた。だけど今は、日本語を使って何かを発信したり、英語ができることを自分の武器にしていきたい。その方が楽だし、その方が多くの人に(いろんな意味で)価値を提供しやすい。

その他たくさんあるけれど、弱点よりも得意なこと、なんとなく苦手なことよりも好きなこと、そうやって生きる方が、きっと楽しいはずだ。



弱点の補強なんてしなくていい。自分にはそういう弱点があると自覚しているだけで十分だと思う。それだけで、性格上の欠点なんかはけっこう抑えられるものだ。

もっと楽しく、自分が好きだったり得意だったりすることを、強くしていく方向で、物事を考えてみてはどうだろうか。

自分はダメだと叱咤激励してようやく平均点の人間になるより、開き直って俺はこうなんだって言っていいじゃない。

いろんな人がいろんな生き方を楽しめるようになったら、いいなぁと思うんだよね。





※たとえばこんなふうに、ダメな部分を捉え直すこともできます。

鈍さを武器と捉えてみる