Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

インターネットという大海に、僕は石を投げ続ける

僕は今日も、思ったことを好き勝手にブログに書いている。

投稿ボタンを押すたびに、海岸で拾った石ころを、海に向かって投げつけるシーンを思い浮かべる。

今日はどれくらいの強さで、石を投げ込めたのかなって思う。



大学2回生の後期、つまり今から2年半前に、僕は初めて自分のウェブサイトを作った。

フレームやテーブルといった時代遅れのテクニックをふんだんに使ったビジュアルは今となっては失笑モノだけど、ゼロからHTMLを見よう見まねで組み立てた、僕にとっては大切なサイトだった。

さし飲み対談も、この時期に始めた。誰かと二人でお酒を飲んで話したことを録音して、ウェブサイトに対談としてアップする。なんとなくおもしろいかなっていう程度で始めたものだった。自分にとってさえそんな感じだったし、ましてや誰かがそれを見ておもしろいと思うかなんて、考えもしなかった。

「もっとたくさんの人に見てもらうために、サイトをきれいにしたり、写真載せたりしたらどう?」とアドバイスをもらうこともあったけど、そもそも僕自身が自分のサイトの価値を信じていなかったから、そんなことできるわけなかった。

小さな石を拾って、ふらっと放り投げる。ゆるい放物線を描いて、石は沈んで見えなくなる。ぽちゃり、という音が聞こえたような気がするけど、わからない。水面に浮かんだ波紋は、すぐに薄れて消えていった。

僕の最初のウェブサイトは、そんな感じだった。



細々と、更新を続けた。

前述のさし飲み対談、数行の日記、ちょっとした思い出話…。僕は石を投げ続けた。

アクセス解析スクリプトは一応各ページに張り付けていたから、誰かが見てくれていることだけはわかっていた。一日に10人いけば多い方だったけど。

見やすいサイトや自分の気持ちを主張するサイトは、作ることができなかった。

誰かから後ろ指を指されることが怖かったのだ。「中二だ」とか「気持ち悪い」とか言われることが怖かったのだ。

人は、自分にとってどうでもいいような知人にすら、嫌われることを怖がる。いや、自分はそんなことないと思っていたけど、SNSで自分のやっていることを公開することをためらう自分を見て、「俺だって偉そうなこと言って結局は嫌われるのが怖いんだな」と気付いた。

ただひたすら、控え目に。誰にも当たりませんようにと願って、僕は石を投げていた。それでも投げること自体をやめなかったのは…どうしてか、今でもわからない。

所属してるサークルとかで、少しずつ「さし飲み対談」が認知されるようになる。「話を聴いてもらってすごく嬉しかったです」「変な話だけど、なんとなくセラピーっぽいよね」「あいつとの対談の様子、おもしろかったよ」などという感想も、もらえるようになった。

対談自体はやっていいんだって思えたから、自分でも「録音して対談としてウェブサイトに載せてもいいかな?」と遠慮なく相手に聞けるようになった。

だけどまだまだ、サイト上のコンテンツとしては貧弱だった。相変わらず、小見出しも発言者に応じてのフォント変更もなく、ただひたすら文字を羅列するだけのページだった。



転機は、ウェブサイトを作って1年半経った頃にやってきた。

大学4回生の春に、バイトのとある後輩から、「おもしろいサイトやってますよね。毎日チェックしてますよ」と声をかけられた。

大変失礼なことに、僕は最初「え、マジ?本気であれおもしろいと思ってくれてるの?」と半信半疑だった。だって、サイトのアクセス数は相変わらずの低空飛行だったし、僕ですらわかるくらい貧相なデザインだったし…。

だけど、彼はこう言ってくれた。

「本当におもしろいと思います。よかったら、何か手伝わせてくれませんか」と。



最初のサイトを立ち上げた頃、学生団体に打ち込んだり起業したりできる人たちを、僕はとてもうらやましく感じていた。

学生団体そのものや起業という行為自体に憧れていたのではなく、それらを通して世の中に伝えたいメッセージがあって、そしてそのメッセージが世の中から肯定されやすいものであることが、うらやましかったのだ。

世の中にとって価値があると思われること―。就職支援、貧困問題の解決、画期的な製品の開発…そういったことに興味がある人が、本当に本当にうらやましかった。

だって、「自分のやっていることの価値」がわかりやすいじゃん。

どこかの学生が自分の就職支援プログラムがきっかけで就職できたら、その人から「ありがとう」って言われるでしょ?すげーおもしろいアプリを開発しちゃったら、たくさんの人がそれに熱中するでしょ?「ああ、俺は今自分の力で世の中に価値を提供しているんだ」って、思えるでしょ?

僕がなんとなくおもしろいかな程度に感じていたさし飲み対談じゃあ、誰にも何にも与えられない。名もない大学生Aがそのまた別の大学生Bと酒を飲みながら話した内容なんて、誰がおもしろいと思うんだ。その時は、そう思っていたんだよね。

そんな自分を、バイトの後輩であるN君は励ましてくれた。「おもしろいですよ」って。

そいじゃあもう少し頑張ってみるかって思って、スタイルシートを勉強した。少しだけ、サイトの見栄えが良くなった。それから、勇気を出して、mixiTwitterで、一緒にウェブサイトを作りませんかって応募をかけてみた。僕以外に6人の人が、集まってくれた。

少しずつ少しずつ、自分のやっていることに共感してくれる人がいることを、信じられるようになった。

アクセスも増えた。第二期のウェブサイトでは、だいたい一日に30くらいのアクセスがあった。前のサイトから比べれば、大きな進歩だった。

物言わぬ多数派、サイレントマジョリティっていう言葉があるけど、こうした物言わぬ肯定者の存在は、僕にとって大きかった。インターネットの大海に潜み、姿は見せずとも「興味ありますよ」って伝えてくれる存在。アクセス数もそうだし、Twitterで自分のつぶやきを見知らぬ人にお気に入りに入れてもらうのもそうだろう。はてなブックマークもそうだろう。

自分のやりたいことの価値を、最初から信じ切ってるヤツなんていないと思う。おそるおそる始めたことが、誰かからプラスのフィードバックを受けて、それを基に少しだけ活動を大きくしてみて…。小さな熾きを大きな炎にしていくように、アウトプットとフィードバックを繰り返して、やっと自信が持てるようになるものだと思う。



二つ目のウェブサイトでは、「メッセージを尖らせることで、多くの人に見てもらえる」ということを念頭に置き、「役に立つことだけではなく、役に立たないことをもっと大切にしよう」ということを掲げた。具体的に何をやってたかっていうと、さし飲み対談とか、書評とか、音楽や哲学のおもしろさを伝えるコンテンツとかをやっていた。

これは、「世の中に価値があると認められやすいこと」ばっかり見てるんじゃねーよ!という、上述した昔の僕が抱いていた「学生団体や起業に対する憧れ」へのアンチテーゼでもある。

尖った大きな石でなければ、世の中に反響など巻き起こせない。そう思っていた。

まあ、悪くはなかったんだけど…。本当のところ、心底納得できるメッセージではなかった。

僕は、「誰かを変える」ことに興味がない。それなのに「役に立たないことを大切にしよう」というメッセージを掲げてしまったのがよくなかった。

人や世界を変えるというメッセージを掲げる以上、多くの人に見てもらえないと意味がない。そう思って、更新頻度も上げた。初代サイトの頃は週に1回だけの更新だったのが、週2,5回くらいになった。7人もいるのだし…という気持ちもあった。

結果、半年くらいで、ウェブサイトは休止することになる。

「人に訴えなきゃ」って思ってたのが、すべての失敗の原因だった。そのメッセージに引きずられて更新頻度を上げ、結果各人が納得しきれていないコンテンツを出してしまっていたのだ。

たぶん、「世の中に価値があると認められやすいこと」を僕がやりたかったのなら、もう少しうまくいっていたかもしれない。そういうものは、得てして世の中を何らかの形で「変える」ものだから。さっきの例で言うなら、就職支援は学生を変えるものだし、貧困問題の解決は言わずもがな、アプリだって「世界を変える」なんて今にもどこかのITメーカーが言い出しそうなメッセージだ。

僕は世界や誰かを変えたいと思っていなかった。でも、何かを変えたくないのなら、発信ってやる意味ないんじゃないのかな…。

そう思って、頭を抱えた。



ブログを書き始めた。

誰かを変えようなんて思わず、ただひたすら、自分を慰めるようなことを書いた。率直に言って、このブログはオナニーだ。自分が気持ち良いと思うことを書いた。気持ち良くなければ、どんなに良いことを言っているようなメッセージに見えても、即消した。ほとんどの人が興味ないだろうなと思うテーマでも、自分が好きだと思えたらアップした。

昔あれだけ抵抗があったSNSへの告知も、気にせず行うようになった。むしろ、「書いてみたんで、興味ある人は読んでくれたら嬉しい」と思えるようになった。

嫌われるコンテンツを作って、嫌われて生きよう。さもなきゃ無視されるだけだ。

完全にできているとはまだまだ言い難いけど、自分に言い聞かせるように、一つ一つ記事を書いてきた。

不思議なもので、嫌われないように嫌われないようにっていう気持ちでやっていた初代サイトよりも、「僕は世の中をこう変えたいです!」ってメッセージを出していた二代目サイトよりも、嫌われても良いと思って書くこのブログの方が反響が大きかった。

とっても、嬉しかった。お前はそのままで良いんだ、そう言ってもらえた気がした。



インターネットという大海に、石を投げ続けてきた。

この不思議な暗く温かい海に、僕はいつも背中を押してもらってきた。

最初のサイトを立ち上げてから、もう3年半が経った。亀のような歩みで、少しずつ大切なことがわかってきた気がする。

大学2年で初めてサイトを作ったことからもわかるように、僕はコンピュータ大好き少年だったわけではない。プログラマーウェブデザイナーになりたいとも思っていない。ただ、発信の手段として、インターネットを選んだだけだった。日記を選ばなくてよかった、心底そう思う。

今ではもう、学生団体や起業といったものをうらやむことはない。メッセージよりも大事なのは、ただ自分がそれをやりたいかどうかだけ。

自分の好きなことだ。自分のやりたい方法だ。それを、きちんと伝わる形にして伝えるだけなのだ。それがすべてだ。



the pillowsは、バンド結成時のことを描いた"1989"という曲の中で、こう歌っている。

please, catch this my song

君に届くように

please, catch this my song

歌っていたのさ 1989

(1989/the pillows

俺の歌を聴いてくれよ。君にきっと、届かせるから。

山中さわおは、どんな想いでこの歌詞を書いたのだろう。売れなくても、自分たちの信じる音楽を奏で続ける、そういった強い決意が、この曲には見える。そしてその気持ちは、何かを発信するのであれば、決して譲ってはいけない大切な気持ちなのではないだろうか。



インターネットという大海に、僕は今日も石を投げ続ける。

ただひたすら、自分の気持ちのままに、叩きつけるだけだ。



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