今日は「大学時代に自分探しをやっておけ」という話を書く。
「大学時代にやっておくべきこと」っていうテーマを扱ってるブログ記事や本はたくさんある。
たぶん扱いやすいテーマだからだろう。一定以上の年齢であれば、いろんな人が自分の経験を(ドヤ顔で)書ける。大学生にしてみたら、人生の先輩からのありがたいお話だから、「ははぁ、そういうことをやっておくべきなんですね」と聞くしかない。(実際、こういった話は生きていく上でめちゃくちゃ参考になるのも確か。)
というわけで、僕もドヤ顔でこのようなテーマを書いてみようと思う。
とはいえ、「本を読め」「海外に行け」「働け」「勉強しろ」「人と話せ」などなど、具体的にこれをやれ!ってことは、僕には言えない。
理由は二つあって、一つは、「大学時代にしておくべきこと」として挙げられるこれらの代表的な訓示がどれも非常に重要なことであって、一つに決めることなどできないから。
もう一つは、こういう具体的なアドバイスを血眼になって聞いて、内申点で5を取る優等生みたいにどれもこれもしっかりこなして「立派な大学生」になるのは、やめておいた方が良いと思うから。アドバイスはとても大事だけど、そればっかり満たしてたら、いったい誰の人生かわかんなくなっちゃうし。
だからどうしても抽象的なメッセージになってしまうけど、こればかりはどうしようもないので、笑って読んでやってください。自分の言いたいことを曲げてまで、人に何かを伝えようとは思わない。
それじゃあ、大学時代にやっておかなきゃならないことってなんなんだよ、と言うと、僕は「自分の好きなことを理解しておくこと」ことだと思う。
早いうちに自分の好きなものは何かを把握しておかなければ、大人になってから、「やっぱり僕はあれがやりたいんじゃないだろうか」なんて、世迷いごとを言い出しかねない。よくわからない「ここではないどこか」を求めて、会社を辞めてしまうなんてことになったら、アホとしか言いようがない。
人生はいつでもやり直しが効く。それは正しい。だけど、年月を重ねるごとにそのリスクが大きくなるのも、また確かなのだ。
あるいは、会社を辞めず、いつまでも青い鳥の夢を見続けるのも、精神衛生上よろしくないだろう。どっちにしたって行き止まりなのだ。「自分は今この場所ではないどこかで必要とされている」という妄想を抱いてしまうと、たぶん先行きは明るくない。
自分は何に向いているのか、何が好きなのか。違うタイプの人に、価値観まで破壊される必要はないでも書いたけど、こういうのは実際に経験してみないと絶対にわからない。
だから、学生のうちに、自分が興味を持ったことに、どんどん手を出していくのが良いと思う。
いろんなことに手を出していくと、自分のやりたいことがなんなのか、ぼんやりと見えてくる。
これは、ツタヤで片っ端からCDを借りて聴きまくるうちに、自分の好きな音楽性が俯瞰できてくるのと似ている。
僕は、00年代のど真ん中に中高時代を過ごした。
僕と同じ世代の人には割と共感してもらえる気がするんだけど、最初に自分で借りて聴くアーティストって、やっぱりポルノグラフィティなりaikoなりBUMP OF CHICKENなりだったじゃない?それらを一通り聴いて、よりマイナーな方向へ、マイナーな方向へ進んでいく。
僕だったらバンプの後にELLEGARDEN、GRAPEVINE、フジファブリックと、いわゆる「ロキノン系」に進んでいったわけだ。このあたりはまだまだ知名度がある方だと思うけど、たとえばカラオケで気兼ねなく歌えるかって言ったら微妙なラインになってくる。
その後は某巨大掲示板の邦楽ロックスレに挙がってるバンド名を片っ端からメモしてツタヤで借りたりしていた。スーパーカーやthe pillowsという素晴らしいバンドたちに出会ったのはこの頃だし、スピッツの良さを再確認したのもこのあたりだった。
ここまで来ると、バンド名の雰囲気やアルバムのレビューを読むだけで、そのバンドの音楽性が自分の趣味に合うかどうか、なんとなくわかるようになる。自分の好きな音楽ジャンルもだいたいわかる。僕ならシューゲイザー、ギターポップ、ネオアコ、そういったジャンルに弱い。そうして自分の好物が俯瞰できると、逆に今度はそれを手がかりに、「こういうバンドもたぶん好きだろうな」と自分で判断して新しいアーティストの音楽も聴くようになる。僕はもともとは洋楽をそんなに聴けなかった(おそらく歌詞によって描写される世界のイメージが湧きにくいため)けど、好きなジャンルなら、国外のバンドでも聴けるようになった。
音楽好きの人なら、必ずこういった経験をしているはずだ。
自分探しという言葉がある。本当の自分とは、自分のやりたいこととは、これからどう生きればいいのか、そういった問いについて、いろんな経験を通して考えること、と言っていいだろう。冒頭で書いた、「興味の赴くままにどんどんいろんなことに手を出していく」っていうのは、要するに自分探しだ。
自分とは何者なのか、なんていかにも哲学的な問いだし、考えてもなかなか答えが出そうにないなぁ…って敬遠しちゃってる人はいるんじゃないだろうか。あるいは、「自分なんて探したって見つからないんだよ!」って、「自分探し」自体を否定する人もいると思う。
でも僕は、自分探しというのは、「好きな音楽を見つけたいな」って思ってツタヤの棚にあるCDを片っ端から借りてみるのと、おんなじことだと思う。そのくらい気軽に取り組めばいいものだと思っている。
誰だって、それを自分が好きかどうかなんて、やってみる前はわからない。それは、今から5年くらい前の、まだポップなロックが好きだと自覚していなかった自分に、マキシマムザホルモンをいきなり聴かせるようなもんで(ホルモンdisってるわけじゃないよ!「ロッキンポ殺し」良いと思うよ!!)。
僕はそこまで幅広く音楽を聴いてきたわけじゃない。ジャズは「枯葉」くらいしかしらない素人だし、演歌はどうもよくわからない。それでも、縁があって出会った音楽は、とりあえず聴いてみようと思ってここまできた。クラシックだって、洋楽ロックだって、最初は聴けなかったけど、今ではその良さがわかる。その上で、「僕は青臭い邦楽ロックが好きだ」って声を大にして言える。
自分探しだって、同じこと。
自分なんて探したって見つからない。今ここにいる自分以外に、自分なんてないのだ。「自分探し」という言葉に対して、よく聞かれる批判である。
その通りである。「ここではないどこか」に、本当の自分がいるわけない。今自分の立っているその場所が、世界の中心。その点については、全面的に同意する。
では、今ここにいる自分は、何が好きで、どんなことに影響を受けてきて、どんなふうに生きていきたいのだろうか。
自分探しというのは、つまりはそれらの問いについて考えることである。
「自分なんて探したって見つからないんだよ」と冷たく言い放つ人のうちどれだけが、自分自身についてきちんと話をすることができるのだろうか?自分の好きなものはこれなんですって、自信を持って言えるだろうか?
自分探しは、一般的に捉えられているイメージよりも、もっとずっと身近で、そして生きていく上で必要な、大切なものなのだ。
自分探しは、悪いことなんかじゃない。本当に、全然悪いことなんかじゃないんだ。
それは、シャキシャキしたアコギのストロークや甘く歪んだエレキのソロが大好物な僕のようなポップロック大好き人間がメタルやジャズに挑戦してみて、「あ、やっぱあんまり好きじゃないかも。。。」と気付くのと同じだ。
自分が何者であるかを話せるようにと言っても、具体的な目標を決めておく必要はない。なんとなくこの道がいいかな、そのくらいでかまわないのだ。ちょうど僕が「シューゲイザー最高、ギターポップ最高!!!」って言ってるくらいの感じで(もちろん個々のバンドで特にお気に入りのものもあるけどね)。それだけで、自分の人生に自信が湧く。自分の道はこれでいいんだって、肯定できる。
音楽好きな人が、「僕はこんな感じの音楽が好きだよ」っていう話ができるようになるまでにたくさんのCDを聴いたように、「僕はこんなふうなことが好きで、こんなふうに生きていきたい」って言えるようになるまで、自分が興味を持ったすべてのことに、手を出していけばいい。
大人になっても、音楽程度だったら、全然未知のジャンルに手を出すことはできるよ。ツタヤで借りれば良いだけだから。
だけど経験は、そうはいかない。
たとえば、日本の会社に入った後で、「あ、やっぱ海外で働きたいかも」って思っても、会社を辞めるリスクはとてつもなく大きい。駐在に立候補しても、選ばれるかどうかはわからない。そもそも、海外に行って自分がそこで満足できるのかどうか、わからない。
そうなる前に、自分が興味を持ったこと、持ちそうなことを、今のうちに経験してみよう。自分探しと揶揄されようが、自分の道を作っていこう。行動を起こすには、大そうな理由なんていらない。「ただやってみたかったから」それだけで十分だ。
昔の僕のように、「自分探しは悪いことなのかなぁ」と思っている人、「何かに一筋になって打ちこむことができない」と嘆いている人へ、届いてくれたら嬉しい。