Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

本の感想1/「ライ麦畑でつかまえて」他

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)



この本は18の時から何度も読み返している。僕はもう23になるんだけど、今までで一番おもしろく読めた。それは、きっとホールデン少年の感じていることを、客観的に理解できるようになったからだと思う。

世の中や人々に対してなんとなく斜に構えてみたり、一方で権威や教養といったものにすり寄ってみたり、あてもなくどこかへ行きたいと思うんだけど、5秒後にはまったくそんな気などなくなっていたり…。自分の中のさまざまな矛盾に気付いていて、それをどうにかしたいと葛藤する。過去の自分もそうだった。

そういった矛盾は、本質的に人間に存在しているものじゃないだろうか。そう思えるようになったから、ホールデン少年より7つ歳を取った今の僕は、この作品のおもしろさを今まで以上に感じられたのではないかと思う。



―アーニーってのは、ピアノを弾く、大きな太った黒人だけど、すごく気どってやがって、一流人か名士なんかでなきゃ口もきかないんだけど、ピアノはほんものなんだ。(中略)彼の演奏を聞くのは、僕はたしかに好きなんだけど、でもときどき、あいつのピアノをひっくりかえしてやりたくなることがあるんだよ。それはたぶん、あいつの演奏を聞いてると、一流人でなければ話しかけようとしない男っていう、そんな感じがにおうからじゃないかと思う。(p.127)

―会ってうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。でも、生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ。(p.137)

―僕はホテルまでの道をずっと歩いて帰った。結構な通りを四十一ブロックもだぜ。そんなことをしたかったのは、歩きたかったからとかなんとか、そんなんじゃない。むしろ、またもやタクシーに乗ったり降りたりするのがめんどくさかったからなんだ。(中略)突如として、どんなに遠いとこでも、どんなに高いとこでも、歩いて行くのでなければ気がすまなくなるんだな。(p.138)

―会いに来る女の子がすてきな子なら、時間におくれたからって、文句をいう男がいるもんか。絶対にいやしないよ。(p.193)

―つまりね、始終、無実の人の命を救ったり、そんなことをしてるんなら、弁護士でもかまわないよ。ところがだな、弁護士になると、そういうことはやらないんだな。(中略)それにだよ、仮に人の命を救ったりなんかすることを実際にやったとしてもだ、それが果たして、人の命を本当に救いたくてやったのか、それとも、本当の望みはすばらしい弁護士になることであって、裁判が終わったときに、法廷でみんなから背中をたたかれたり、おめでとうを言われたり、新聞記者やみんなからさ、いやらしい映画にあるだろう、あれが本当は望みだったのか、それがわからないからなあ。自分がインチキでないとどうしてわかる?そこが困るんだけど、おそらくわからないぜ。(p.268)



物語の最後に、ホールデンは自分とともに遠い場所に行きたいと言う妹をなだめ、動物園で回転木馬に乗っている妹を見て幸せな気持ちになる。それはきっと、「広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、あぶない崖から転がり落ちそうになるのをつかまえてあげたい」というホールデンの夢が、一つの形で叶えられたからではないかと思う。この本が世界の若者たちの心をつかんで離さないのも、劣等感にさいなまれつつももがき続ける主人公の姿を見て「自分だけじゃないんだ」と励まされるからだと思うし、それははからずも、ホールデンの夢が、今もこの世界のどこかで叶い続けているということを指している。

人は、自分に似ている人しか救えない。僕はつねづねそう思っているんだけど、その好例を、自分がこの作品を読むことでホールデンに救われるという体験を通して、見せてもらった気がした。



スタア・バーへ、ようこそ (文春文庫PLUS)

スタア・バーへ、ようこそ (文春文庫PLUS)



大学に入ってから、先輩に連れられて、バーというものに入ってみるようになった。僕はカクテル・バーが好きだけど、ウイスキーやワインをたくさん取り揃えているバーもあるし、あるいはお酒だけじゃなく料理も本格的なものが出てくるバーもある。一概にバーといってもいろいろあるのだけど、気軽に入ってみてくださいよ、というのが、本書の意図するところだ。

ただ、いざバーに入るとなると、「何を頼めばいいの?」と悩んでしまうかもしれない。そこは、本書でもしっかりフォローしてある。

たとえばカクテルと一口に言っても、ジントニック、カシスオレンジ、スクリュードライバーといった、「居酒屋でよく目にするカクテル」だけがカクテルではない。一説にはカクテルは世界中に数千種存在すると言われる。そんな膨大な数の中から自分の好きなものをチョイスするのは至難の業だ。だから、自分の好きな感じをバーテンダーに伝えて作ってもらうのが一番近道だと思う。



―カクテルの分類でよく用いられているのが、基本となるお酒による分類です。ベースといわれているものです。(中略)

そこで、注文するときも、ジンをベースで、とおっしゃる方が多いのです。僕はこれは基本的にはお勧めしません。(中略)

僕なんか、カクテルをそういうふうに頭に入れていないので、ジンベースと言われたら、マティーニギムレットくらいしかすぐには思いつきません。(中略)その方が飲みたいものはもっと別の方向にあるのかもしれないけど、そこに行き着かない。(中略)

カクテルを広範囲に存分に味わおうというなら、もっと味を表現する官能的な全体的な言葉がいいと思います。たとえば、「強くて、ぐっときて、少し甘い」とか、「シュワシュワとしててさわやか」などと言っていただいたほうが、イメージがわかりやすいので、それに対応したカクテルを思い出すことができるんです。

といってもあまりにイメージ先行では、困るんです。「ブルーな気分で作って」といわれたら、ヒントはブルーだけですよ。青いものを作るしかなくなってしまう。もう少し、飲み物としての具体的ヒントが欲しいですね。(p.23)



飲み物としての具体的ヒント、ということで、以下のような表現が本書には記載されている。「お酒を感じる大人の味」「ぐっときてさっぱり、柑橘の味」「シュワシュワさわやか」「フレッシュ、フルーティ」「デザートお菓子感覚」「ワイン、シャンパン、ゴージャス系」などなど。もちろん他にもたくさんあるはずなので、会話を楽しみつつ、自分のお気に入りの一杯を見つけるといいと思う。



ところで、僕はサイドカーというカクテルが一番好きなのだけど、これはバーテンダーの方々にとっては基本のカクテルでもあるらしくて、お店によってさまざまなこだわりがあるのが見てとれる。



サイドカーは、甘味と酸味のバランスをとって作るカクテルの代表的なものです。その意味ではサイドカーをカクテルの筆頭にあげるバーテンダーがいるのもうなずけます。

ブランデーをベースにしますが、サイドカーを作る時は、ブランデーを、ブランデーとかコニャックという意識はもたないで、一種のスピリッツ(ブログ注:たとえばジントニックのジン、スクリュードライバーのウォッカ。基本的に、どのジンやウォッカを使っているのかということは考えず、ジンという分類、ウォッカという分類にあたるカクテルの材料として考えるもの)として捉えています。ブランデーそのものとしての良さではなく、サイドカーにしたときにどうかということを考えて選んでいるんです。

僕が作りたいサイドカーは、気泡をいっぱい含んで、ブドウの香りすら感じるようなものです。ブランデーにレモンジュースを加えて泡立てると、ブドウの風味が出てくるんですよ。(p.52)



とまあ、こういったウンチクが語られていくわけだけど、僕の経験上、バーテンダーの方はむやみやたらとウンチクを披露するようなことはない。「これってどういうお酒なんですか?」とこちらが聞いた時のみ、一生懸命答えてくれる。それは誰かと一緒に飲む時も同じで、自分が飲んでいるお酒をああだこうだと言う人とはあまり宴席をともにしたくないし、また自分もあえてウンチクを語ろうとは思わない。

たかが酒、されど酒。自分に合ったやり方で、気軽に楽しめばいい。そのための入門書として、ぴったりではないだろうか。