Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

バーをやりたい。今の日本に必要だと思うから。

ふと、バーをプロデュースしたいと思った。

コンセプトは、そこに来た人が、「自分の幸せとは何か」を、少しでも掴んで帰れるような場所。

そこでは、誰かと静かに語り合ってもいいし、1人でぼんやり考え事をしていてもいい。

そういう場所をつくりたい。



就職活動では自分の将来の仕事を考える時に「やるべきこと、やれること、やりたいことを考えろ」とよく言われるが、これに沿ってなぜバーを作りたいか書いてみよう。

(「やるべき」「やれる」「やりたい」の順番にしたのは、実際のビジネスの場ではこの順で重要になると思うからだ。)



まず、なぜ僕が「やるべき」か。

今の日本の若者に課された重い課題は、「自分の幸せとは何か」を、自分で考えなきゃならないことだ。

できる限り良い大学を出て、できる限り大きな会社に入って、そこそこがんばって働いて、老後は年金暮らし…。そんなロールモデルを夢見ている人は、今どのくらいいるのだろうか。

みんながテレビを見て、みんなが結婚して、みんなが毎年上昇する給料をもらえて…。そんな、「みんなと同じ幸せ」を信じていられる時代は、終わったのだ。

僕は、世間一般で言う「良い大学」の理系学部に入れたけど、入学当初からあっちへいったりこっちへいったり、自分の道を見つけられずにいた。そもそも自分自身が、「僕はどう生きれば幸せに暮らせるのか」をずっと考え続けてきた人間だ。

そうしてふらふらしている間に、100人以上の大学生と、さし飲みをした。誰もかれも迷っていた。普段はおちゃらけている友人の深刻な顔を見ることもあった。終わった後に「こういう真剣な話をするのも良いね」と言ってくれる人がたくさんいた。2人きりで、静かな場所で、お酒を飲みながらやるからこそ、できる話だ。

それから、インドに行ってインターンをした。本で読んだ通り、活気に満ちた国だった。誰もが自分の将来について明るい見通しを立てていた。ルームシェアをしていたインド人の友人の1人は、「自分の幸せ?カネを稼ぐことさ!」と言いきった。

(参照:インドの若者は、「自己実現」の夢を見るか

そこで僕は確信したのだ。「自分の幸せとは何か」を考えなければならないのは、日本の若者に共通の課題だと。

その課題に取り組むためには、どういう方法があるだろうか?

啓発や教育は、自分にはできない。他人の価値観にずかずかと入り込むのが嫌いだからだ。そもそも僕自身が「こう生きればよい」という指針を持っていないのだから、教えることなどできない。

あくまで僕は、考える場所を提供するだけだ。

「自分の幸せとは何か」を考えられる場所。少人数で、静かで、お酒が飲める場所。僕がよくさし飲みを楽しんだ場所。バーというアイデアが出てくるのに、そう時間はかからない。

それをつくるべきなのは、自分自身が生き方に迷い、インドと日本の若者とたくさん話をした僕だろう。



次に、なぜ僕が「やれる」のか。

昔から僕は発信すること、表現することが好きだった。

それで、大学に入ってからいくつかウェブサイトをつくった。「大学生ナウ」「People Interest」「つづく。」後ろ2つは、ありがたいことに友人たちも一緒につくってくれた。

3つのウェブサイトを通して、僕が発信しようとしたコンテンツは「インタビュー」だった(当時は「対談」と言っていたけど、「僕が話を聴いて感じた、相手のおもしろさを伝えたい」というのがコンセプトだったので、インタビューと言った方が正しいだろう。僕はその頃聴くことが好きだと自分で思い込んでいた)。さっき100人以上の人と飲んだと書いたが、そこで話した内容をウェブサイトにアップしたのだ。

しかし、僕はインタビュアーには向いていなかった。聴くのも好きだが、話すのも好きだからだ。もっと言うと、自分と相手のやり取りを通して、別々に存在している人間どうしが近づいていく感じや、新しいアイデアが生まれる瞬間が好きだった。

では、なぜ昔は「聴く」ことばかり大切にしていたのだろうか?それは、僕が他人から嫌われることを本能的に怖いと思ってしまうタイプだからだ。自分の話を聴いてくれる人を嫌う人はまずいない。聴くことにこだわっていたのは、その実自分が嫌われないようにする巧妙なやり方だった。

そんな自分を変えてくれたのは、この「Rail or Fly」というブログだった。

少しずつ、亀が首を出しては引っ込めるように、僕は自分自身の思ったことをこのブログに書きつけていった。はてブをそれなりにしてもらったり、著名なブロガ―の方に取り上げていただいたりした。読者の方々が、ブログやTwitterを通して会いたいと言ってくださるようになった。ウェブサイト時代には、考えられなかったことだ。

結局のところ、僕にとって、ことばは自己表現のための手段だったということだ。おもしろいものや最新のニュースを伝えたり、自分で創った物語を語ったりするためのものではなかった。

とにかく、「嫌われてもいいや」と思えたことをきっかけに、さし飲みのやり方も変わった。自分の意見も、言うようになった。自分の意見が絶対に相手の参考になるとは思わないけど、思ったことを素直に言った方が、味方は増える。

この世界には、僕と同い年やそれより若い年齢で立派なことをしている人たちがごまんといる。起業家などの目につく人たちに限らない。友人にも、自分の道を突き進んでいる人はたくさんいる。本当にすごいと思う。そこまで燃えるものを、僕は持っていないからだ。

でも、だからこそ、同じように燃えきらない、でも何かしたくて焦る、自分はどう生きればよいのか迷う、そんな人の気持ちが、痛いほどわかるつもりだ。つもり、だけでなく、実際に自分の書いた文章に何かを感じてくれた人たちがいる。自分の考えたこと、書いたことが、ある人にとっては救いになる。そういうことが、だんだんわかってきた。

もし僕と話すことで、誰かが少しでも救われるなら…。これまで何度もやってきた「さし飲み」を、思う存分できるような場所をつくりたい。

僕は宗教の教祖のような存在には絶対になりたくないけれども、僕との話の中でその人が何かしら生き方についてのヒントを得ることができれば、それは素晴らしいことだと思う。

ちょうどTravisが「後の世に残っていくものは、良い音楽だけでいい。自分たち(バンド。音楽をつくる・演奏する人)のことは消えてしまってもかまわない」と、「Invisible Band」をつくった時に語ったように。

そうした対話を通して、少しでも相手に何かしらのヒントを与えてあげられるかもしれない。「与えることができる」とは、まだ言いきれないけど。



最後に、なぜ僕が「やりたい」か。

昔から、「同じカテゴリーに属するけれども、1つ1つは異なるもの」を知ることが好きだった。

小説、音楽、科学、カクテル、そして人…。

例えばカクテルやさし飲みという趣味には僕の好きなものの傾向が如実に表れている。

カクテルは、さまざまな材料を用いて美味しい一杯をつくりだす行為だ。同じ材料からまるきり違う風合い・味わいのものができる。

さし飲みは、一人ひとり異なる人について知る行為だ。しかしたくさんの人と飲んでいると、それなりに共通するものが浮かび上がってくる。冒頭で書いた「自分の幸せとは何か」について考えているのは実は自分一人ではない、などの気付きも、その一つ。

最近は、その延長線上で、映画やファッションといったものも面白いなぁと感じている。自分は視覚にまつわる表現が得意ではないので、これまでは無視していた分野だった。まあ、知らない世界があるというのはそれだけでワクワクすることだから、むしろ良いことだと捉えて今後楽しんでいきたいと思う。

とにかく、僕は「知ること」が好きだ。送り手ではなく、受け手だ。「好奇心」がとても強い人間であることは間違いない。

一方で、プレーヤーになることは、これまでの経験から向いていないことがわかっている。ことばはあくまで自己表現のためのものでライターや小説家になることには興味がないし、ギターは中途半端なレベルだし、科学者には結局なれなかったし、バーテンダーは修行の厳しさを知って諦めた。

僕がバーを開くとしたら、それはプロデュースという形になるだろう。コンセプトを考えること、あれこれ分析すること、キャッチコピーを考えること…なんかは、これまでのインターンなどの経験から好きだとわかっている。ただ、お店の運営というのはふわふわ考えているだけではできないので、実際にプレーヤーになってくれる人が必要だ(昔自分がプレーヤーになろうとして大学の学祭に足湯を出してン万円の赤字を出した)。プレーヤーになってくれる人は、今後僕が僕なりに一生懸命生きていけば自然と見つかると信じている。

好きな本を置いて好きな音楽をかけ、僕の好きな「人との対話」を肴に好きな酒を飲む。

きっと、僕にとってこれ以上の至福はない。



ずっと前にも、バーをやりたいなぁ、なんて思ったことがあったけれども、その時は今ほどその夢がしっくりこなかった。そして、いったん忘れた。

小説と同じように、夢にも「出逢うタイミング」がある。幼い頃読んで全然つまらないと感じた小説が、大人になって読み返すと深く心に残るというのは、よくあることだ。

だから、昔憧れて時とともに薄れてしまった夢を、「あの頃を思い出すのは恥ずかしい」などと捨ててしまわず、心の片隅に置いておくと良いと思う。



と、今日はこんなことを書いたけれども、まずは自分が「やるべきこと」を、新卒で入る会社でしっかりと果たしたい。

僕が就職活動をしていた時、バーがやりたいという夢こそ面接で語ってはいなかったが(隠していたのではなく、単に思いついていなかった)、「みんなに、自分の幸せとは何かを考えてもらえるような仕事」がやりたいと思っていたのは変わらない。

だから、広告会社に入った。

広告会社は、一昔前のように「マスメディアを牛耳って世の中の流れをつくる」ことができなくなっている。みんなが同じような生き方をしなくなり、マスメディアの影響力が落ちたからだ。最大公約数的なアプローチではなく、商品やサービス、企業に共感してくれる人にきちんとメッセージを届け、ファンになってもらうことを目指している。

だからこそ、自分のような人間を採用してくれたと僕は思っている。20年前なら、僕は広告業界に行かなかっただろうし、広告業界も僕を必要としてくれなかっただろう。

(このへんの業界の流れは、「広告業界にチャラい人が多い理由」と深く関連していると僕は考えている。そのうちブログに書く。)

幸いにして、「プロデュースすること」、コンセプトを考え、ターゲットを分析するというのは、広告会社の重要な仕事の一部だ。

すべての道はつながっている。そう信じている人にとってだけ。

どんな仕事にも、苦労はたくさんある。辛い思いをすることもあるだろう。だけど、当分の間は、歯を食いしばって学べるものをすべて学びたい。

この記事に書いた夢は、その後で初めて現実味を帯びるだろう。