少し前に書かれた、さとなおさんの「広告業界が変化しにくい根本的な理由」を読んで、「うわあ、なんとなく考えていたことを、さとなおさんに完璧な言葉にされてしまった…」とショックを受けた。
まあ、さとなおさんのお墨付きをもらった、と勝手にポジティブに解釈して、今日のお題に入る。
「広告業界にはなぜ合コン好きな人が多いのか」。
就職活動をしていた時に、とりあえず「広告はチャラい」ということをいろんな人から聞かされた。
チャラい、というのはいろいろなイメージがあるが、一つには「合コンが好き」という定義ができると思う。
例えば転職会議(http://jobtalk.jp/)では、業界トップの電通について実に97%(45人中44人が投票、2013年12月1日時点)の人が、「合コンが盛ん」な社風であると述べている。自動車メーカー、飲料メーカー、銀行、電気ガスなど他の業界のトップと比べても、格段に高いパーセンテージだ。
(一応、誰でも投票できるサイトなので、それらの企業の関係者ではない人による投票も混ざってはいる。投票者の割合を確認したところ、関係者とそれ以外の割合はどの企業もそう変わらなかったので、ある程度信頼性のある数字だと考えてよいだろう。)
また、複数の広告会社の面接で「学生時代、1年間に合コンを数百回企画した」というエピソードを語る学生が通ったと聞いたことがあるが(学生はそれぞれ別の人)、それが(評価される)自己PRになるのも、広告業界くらいなものではないだろうか。
ということで、ひとまず「チャラい人」という言葉の意味を「合コンが好きな人」と定義することにしよう。これは、僕たちが「チャラい」という言葉に感じるニュアンスとも合致していると思う。
ではなぜ広告業界には「合コンが好きな人」が多いのか?
それはもちろん、広告業界がそういった人を好んで採用してきたからだ。
では、なぜ広告業界は「合コンが好きな人」を必要としてきたか?
ここからが今日の本題である。
合コンといってもいろいろな形式がある。知らない人どうしが集まって楽しく話そう、みたいなゆるいものもあれば、男の煩悩丸出しの肉食系合コンもある。しかし共通しているのは、「みんなが楽しめるような場をつくる」ということだ。
そこでは、みんながついていけるような共通の話題であったり、みんなが楽しめるような簡単でおもしろいゲームであったり、とにかく「みんながわかるもの」が大切にされる。最大公約数的な楽しさを追求する場所、と言ってもいい。
したがって、合コンが好きな人、というのは、最大公約数的な楽しさをつくることが好きであり、かつできる人、であるはずだ。
最大公約数的な楽しさをつくるためには、最大公約数が何か、理解している必要がある。つまり、周りの人がどんな気持ちでいてどういうことを求めているのか、把握する必要がある。
実はそのような能力は、長らく広告会社のビジネスにおいて大きな位置を占めていた「マス広告」をつくる際に、求められてきたことでもある。
これが、広告業界が長らく「合コンが好きな人」と相性のよかった理由である。
マス広告をつくるためには、今世間の人たちがどんな気持ちでいてどういうことを求めているのか、最大公約数は何か、把握している必要がある。
マス広告における最大公約数とは、つまりは時代の価値観のことだ。
「大きいことはいいことだ」は、「より新しく、より速く、より大きく」なることがみんなにとって幸せであるという高度経済成長期の価値観を反映してつくられた。
「おいしい生活」は、大きくするだけでなく、精神・物質の両方を満たすような豊かな生活を求めようという価値観のもとにつくられた。
さらに、「24時間戦えますか」は、そんな「おいしい生活」を実現するためにバブル景気の中で必死に働き稼ごうという価値観のもとにつくられた。
(参考:「広告は時代を映す鏡」http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_11_01_04.pdf)
「できるだけ多くの人に伝わる広告」は、みんなが共通に抱いている価値観のもとにつくられた。いや、広告の方が価値観をつくっていたとも言える。
―時代の空気を創る、という言葉がある。広告はそう言われた。そしてCMプランナーやコピーライターは花形職業になった。物欲が肯定され、広告は新商品にイメージという付加価値をつけて世の中に送り出し、時代の空気を確実に創っていたのである。
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みんながわかるマス広告をつくるためには、みんながどんなことを考えているのか、把握していなければならない。
そして、合コンが好きな人は、今みんなが何を求めているのか、最大公約数は何か、きちんと理解している。
その資質が、マス広告をつくることと直結していた。かつては。
だから広告業界は合コン好きな人を(結果的に)採用してきた。
しかし、広告業界を取り巻く環境は変わりつつある。
まず、人間の価値観、生き方が多様化した。それは僕がこのブログでずっと書いていることだ。「どう生きれば幸せになれるのか」を、誰も教えられなくなった。より大きなものをつくったり、余暇を充実させたり、ひたすら働いて稼いだりすれば幸せになれる、と信じることができなくなった。つまり、みんなと同じ方向を目指せば幸せになれる、とは思えなくなったのだ。したがって、広告の伝えるメッセージも、最大公約数を捉えることができなくなった。
それから、メディアも多様化した。インターネット環境がパソコンのみならずあらゆるデバイスを通して供給されるようになった。そして、マスメディアだけではリーチできる絶対数が少なくなってしまった。最近はテレビでスポーツ観戦をしながらTwitterでそれを共有しあうというのが一般的になったが、そういったメディア間の相互作用も考えて広告をつくらなければならなくなった。
これら2つの要素が相まって、これまでとは異なるタイプの人間も、広告業界に飛び込んでいくことになる。
例えば、僕だ。
僕は「最大公約数的な楽しさを追求する人」からは完全に逆のところにいる。お酒を飲むならさし飲みが好きだし、1人でいるのが好きだ。たぶん15年も前だったら、広告業界に入ることはできなかっただろう。求められなかっただろうし、また僕自身も興味を持たなかったと思う。
なにしろ志望動機が「人間一人ひとり、それぞれの人生の選択を応援したい。商品やサービスの選択も、小さな人生の選択である。それぞれの人にそれぞれの商品やサービスのメッセージを伝えて、『これを選んでよかったな』ひいては『この人生を選んでよかったな』と思ってもらいたい」というものだった。
広告業界には今でも「世の中を動かしたい」という志望動機で入る人がたくさんいる。もちろんそれができればとても楽しいと思うし、昔の広告業界は「最大公約数のものをつくって世相を創る」ということをやっていたわけだ。
ただ、「世の中を動かす」のと、「一人ひとりに向き合う」というのは、完全にではないにしろ、トレードオフの関係にある。最大公約数を拾えば、一人ひとりは疎かになる。一人ひとりを尊重すれば、みんなが楽しむことはできない。これは直感的に理解できると思う。
僕は、これから広告業界に入る人のタイプとして、そういった二種類の人が共存するようになると思う。あるいは、1人の人間が、その二種類の思考を使い分ける必要が出てくると思う。
僕は、僕みたいな地味でマジメな人にも、チャラいと敬遠せずに広告業界を目指してほしい。合コンが苦手でも、きっと大丈夫だ。
なぜなら、合コンが好きな人ばかり、求められているわけではないからだ(逆に、入社してから才能が開花する人もいると思うけど…)。
おそらくこれから、その傾向はますます大きくなるだろう。
広告業界に就職する元就活生が、就職活動を通じて広告業界について感じたことを書きました。実際にお仕事をされている方が見れば完全に的外れなところも多々あると思いますが、楽しく読んでいただければ幸いです。
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