自分の好きなことが、世の中から求められることだったら、どんなに幸運だったろう。
自分がやりたいと思ったことが、世の中から肯定されるようなことだったら、どんなに気楽に生きられるだろう。
「警察官」とか、「弁護士」とか、「医者」とか、どんな職業でもいいんだけど、すでに世の中に職業として存在しているものを目指すのは、とてもわかりやすい。
それは、世の中から求められている仕事だ。きみは必要な人間だって、世の中がそう言ってくれる。
あるいは、「世界一周」とか、「起業」とか、「学生団体」とか、なんでもいいけど、人から「すげえな」って言ってもらえるようなことに興味があれば、自分のやっていることは間違いないのだと、確信できる。
もちろん、わかっている。そういう人が、仕事の名前とか、活動そのものを目当てにやっているのではなく、自分が心からやりたいと思ったのが、たまたまそんなことだったって。
それでも、自分のやりたいことが、わかりやすく世の中から肯定されるようなことだったら、って思う。
逆に、やりたいことが世の中から肯定されなくったって、俺は俺の道を行くぜ!って思えたら、それでいいじゃん。
世の中の評価とか気にしないで、自分の道を突き進んでる人ってかっこいいよ。
確かに、その通りだ。
でも、ここがどうしようもなく僕の俗物的なところなんだけど、世の中から評価されないのなら、それをやる意味はないと思ってしまうんだ。
誰も知らない新種の虫を発見することだけに情熱を傾ける人と、その虫から難病に効く薬を開発するために心血を注ぐ人。
僕は、どっちにもなれない。
世の中に肯定されるようなことに興味を持つこともできず、かといって、世の中の評価を気にせず生きていくこともできない。
それが自分という人間であると、まず認めてしまおう。
不器用だし、かっこよくなんてない。それでも、それが自分だ。
僕はもう、無理やり世間受けするようなことに挑戦するのも、無理やり自分を変人であるように見せようとするのも、やめると決めた。
そのはざまで、ずっと生きていくんだ。
そこで悩んだ僕だからこそ、わかってあげられる人がいるはずだ。
そしていつか、自分のような生き方を、世の中に一つのあり方として確立させたい。
「医者」や「弁護士」のように名前のついた、僕のような人がそこに所属することで少し救われるような場所。
それが、この記事で書いたような、バーという形になればいいなと思う。
この世の中には、「こう生きる人が偉い」「こう生きる人がすごい」というような言説が、多すぎる。
そこには、たまたま賞讃されるような生き方を選択できた人が、決して感じることのない息苦しさがある。
僕は、そんな息苦しさを感じている人が、少しでも楽になるような道を示していきたい。
自分が迷っていた時に、こんな場所があったら救われただろうなっていうものを、世の中に提示していきたいのだ。