ブログを書いていると、時たまスコールのようなアクセスを受けることがある。
自分の書いたものを多くの人に読んでもらえるのは、誰にとっても嬉しいことだろう。もちろん、僕も嬉しい。
しかし、僕にとっては、アクセスを集めることはブログを書き続ける本質的な理由にはならない。
ブログを書く目的は人それぞれであり、目的によっては、アクセス数など気にせず書いた方がよい場合もある。
今日は、「アクセス数は、本当にあなたのブログにとって必要ですか?」ということについて考えてみたい。
もくじ
1、ブログの目的の4つのあり方
2、「自分に向けてメッセージを伝えたい」なら、アクセス数はいらない
3、アクセス数の代わりに、指標となるもの
1、ブログの目的の4つのあり方
あなたは、自分がなぜブログを書いているのか、考えてみたことはあるだろうか?
これについて考えるには、そもそも、ものを伝えるという行為について考えてみる必要がある。
ものを伝えるという行為は、以下の3つの要素を考えることから成り立っている。
・誰に伝えるのか
・何を伝えるのか
・どう伝えるのか(a, どんな表現で、b, どんな媒体で)
ちなみに僕が春から働く広告業界はまさに「ものを伝える」ことを仕事にしている業界なわけだが、このそれぞれの要素に対応する部署がある。
・誰に伝えるのか
→マーケティングやストラテジックプランニング。世の中の人々(生活者)のことを考える仕事。
・何を伝えるのか
→営業。クライアントが世の中に伝えたい・広めたいことは何かを導き出す仕事。
・どう伝えるのか
a, どんな表現で
→クリエイティブ。広告表現の具体的なあり方(CM、キャッチコピー、ポスターなどなど)を考える仕事。
b, どんな媒体で
→メディア。広告をどんな媒体で世の中に伝えるか(TV、新聞、インターネット、屋外広告などなど)を考える仕事。
※最近は各部署の連携が密になってきているらしく、そこまで厳密な分け方はできないと思うけど、だいたい主に取り扱っている仕事は上の通りで間違いないはず。
この考え方をブログにも当てはめてみよう。
まず、「どう伝えるのか」の部分ははじめから決まっていて、動かすことはできない。「どんな表現で」は「文章や画像や動画で」、「どんな媒体で」は「インターネットのブログで」、と決まる。
したがって、自分がブログを書く目的について考えることは、固定されている「どう伝えるのか」を除く2つの変数「誰に伝えるのか」「何を伝えるのか」について考えることに等しい。
そして、この変数が取りうる値はそれぞれに対して2つずつある。
・誰に伝えるのか→他人なのか、自分なのか。
ブログを他人に向けて書いている人もいれば、自分のために書いている人もいる。
例として、英語の勉強に関するブログを書いている人を考えてみよう。「高校受験のための英語の勉強ができるブログ」を書いている人は「中学生やその保護者、あるいは教育関連の仕事に就いている人たち」に向けて書いているだろう。一方、「自分が知らなかった英単語を備忘録として残しておくブログ」を書いている人は、それを自分に向けて書いている。
・何を伝えるのか→情報なのか、メッセージなのか。
情報とは、客観的であり、中立的なもの。メッセージとは、主観的であり、人によって異なるものだ。
例えば、自分の行ったレストランについてブログを書いている人を考えてみよう。そのお店の料理ジャンル、立地、価格帯、客層、ミシュランにおける評価などは、客観的な情報である。一方、その書き手自身がそのお店で感じたこと(「美味しかった」とか「雰囲気が素晴らしい」とか)は、主観的なメッセージとなる。
もちろん、他人なのか自分なのか、情報なのかメッセージなのかということは、きれいに切り分けられるものではない。自分のための英単語の備忘録として書いているが、同じくらいの語学レベルにある人の参考になればいいなと考えている、とか、「このお店は本当におススメです。インド料理のお店とありますが、その味付けは日本人好みにアレンジされていて~」など、情報とメッセージを絡めて書くとか、そういったことは十分に考えられる。
しかし、特に重きを置いているのはそれぞれどちらなのかは、自分で考えてみればわかるはずだ。
ブログを書く目的として代表的なものを、以下に列挙した。(リサーチバンクによるブログに関する調査を参考に、5%以上を占めた回答のみをピックアップ)
・自分の日記、備忘録として
・発信する情報を通して、他人の役に立ちたいため
・自分の考えや感じたことを発信したいため
・ネット上でのコミュニケーションのため
・数多くの人に影響を与えたいため
・家族・知人・友人への近況報告のため
・収入を得るため
・気分転換、ストレス解消
これらを先ほどの「他人/自分」と「情報/メッセージ」でわけたマトリックスにプロットすると、下記のようになる。
あなたがブログを書く目的は、どこに近いだろうか?
2、「自分(に似た人)に向けてメッセージを伝えたい」なら、アクセス数はいらない
さて、上記のようにブログの目的にはさまざまなものがあり、それらはすべて「他人/自分」と「情報/メッセージ」の組み合わせで分類できる、という話だった。
ここで僕がブログを書く目的を述べておこう。それは、マトリックス左下の「自分に向けてメッセージを伝えたい」というものだ。
ただし、「自分に向けて」というのは、自分ただ1人というわけではなく、自分の向こう側にいる、自分と同じような価値観・考え方の人に向けて、という意味である。(参考:僕とブログ)
僕が、できるだけわかりやすい文章を書くと誓っているのは、そのためだ。自分ただ1人に向けて書くなら、文章構成がめちゃくちゃで誰も理解できないような単語を散りばめた文章を書いても構わないだろうが、僕はそうではない。
自分と同じように悩んでいる人に、少しでも前に進んでもらえるような文章を書きたい。おこがましいかもしれないが、心の深いところが救われるような、そんな心持ちになってもらえたら嬉しい。
つまり、僕は読者の方に深くまで共感してもらいたいのだ。多くの人に読んでもらえなくてもいい、わかる人にしっかりと刺さればそれでいいのだ。
アクセス数というのは、「どれだけ共感したか」の指標には、決してなってくれない。
僕のブログも、まれに大量のアクセスをいただくことがあるが、アクセスがあったからと言ってユーザーが自分のブログをしっかり読んでくれたとは限らないのである。
例えば、2年前に書いた英語を話せても代替不可能な人間になんてなれやしないんですよという記事では、多くのアクセスをいただいた。3日間でアクセス数10000強という、僕のブログの水準からするととてつもない数値だった。
しかし、この時の平均滞在時間はわずか1:08。直帰率(僕のブログを見て、すぐに別のサイトに飛んでしまった人の割合)は87.34%、訪問別PV(1人のユーザーが平均何ページ閲覧しているか)は1.26だった。
これに対して、はてなブログに移行してからここまでの12日間を同じ指標で見てみると、アクセス数が1400程度なのに対して、平均滞在時間は1:48、直帰率は80:16%、訪問別PVは1.69と、2年前のバズに比べて1人の読者の方に「長く」「たくさん」記事を読んでいただいていることが見てとれる。
また、そのような指標だけでなく、メールやコメントの受信数ということを見ても、10000強のアクセスがあった当時はブコメを除くコメントやメールは皆無だったが、同じくらいのアクセスを稼ぐのにかかった直近の5カ月では、リアルでお話ししたいというメールを4通、コメントを3件いただいている(同じ方からのものは1としてカウント、SNSを通じてのコメントはブコメと性質が近いと思われるので省くが10件以上はある)。
僕のように、「自分と似た人にメッセージを伝える」という目的でブログを書く場合、アクセス数というのは、決してその目的が果たされているかどうかをはかる指標にはなってくれないのだ。
逆に、先ほどのマトリックスでいえば右上の部分、「他人に情報を伝える」という目的に近付けば近付くほど、アクセス数というのは意味を持つものなのである。
インターネット上には、「ブログのアクセスを向上させるためのコツ」みたいな記事があふれている。
検索エンジンにひっかかりやすいタイトルにせよ、記事のテーマを統一せよ、毎日更新せよ…などなど。
これらはすべて、「ブログにとって、アクセス数(PV)こそがすべて」という価値観にもとづいている。
しかし、あなたにとって、それは本当に正しいのだろうか?
もはや食傷気味な「~のために知っておくべき3つの方法」的な記事タイトルは、本当にあなたが伝えたいメッセージになっているのだろうか?
検索エンジンにひっかかるようにするのは、確かに大切である。しかし、それよりも大切なのは、自分がその記事で熱く主張したいメッセージを、記事のタイトルにぶちこむことである。
検索エンジンに引っかかるかどうかよりも、人の心を掴んで話さない血を吐くようなことばを、タイトルとして書き連ねるべきなんじゃないのか。
ブログのテーマを尖らせろ、というSEO指南に従ってブログをつくったとして、本当にあなたはやりがいを感じるだろうか?
「自分と似た人にメッセージを伝えたい」というのは、自分を丸ごとさらけ出すということに他ならない。
恋愛でもなんでもそうだが、自分の限られた一面だけを見せ続けて相手から気に入られるという方法をとった場合、心の底から幸せだと感じることは絶対にない。
スカスカの、メッセージなどなにもない、コンピュータにだってできるような情報の羅列でしかない記事を毎日更新して、少しばかりのアクセスを得て、本当にあなたは満足だろうか?
偏っていたっていい、文章が下手くそでもいい、自分はここにいるんだ、こう思っているんだっていうメッセージを、ブログを通して訴えたいんじゃないのか。
アクセス数至上主義、PV至上主義から、目を覚ませ。
ここで一つ、経験から言えることを書いておく。
たった1人であっても、読者から「救われました。読んでよかったです」というメッセージをもらえたなら、書き手はその一言で救われるのだ。
その一言を得るのは、確かに、簡単ではないかもしれない。
しかし、自分のありのままを、きちんと伝わるような言葉で書けたなら、必ず届く人はいる。
僕のように「自分と似た人にメッセージを伝えたい」人に必要なのは、そんな受け手からのフィードバックである。
「どれだけ多くの人が見てくれたのか」を示すアクセス数ではなく、「どれだけ深くまで共感してもらえたのか」を示す、何らかの指標である。
それだけで、たとえ1人しか読んでくれていなくたって、書き続けることはできるものだ。
3、アクセス数の代わりに、指標となるもの
それでは、「どれだけ広くいきわたったか」をはかるアクセス数の代わりに、「どれだけ深く突き刺さったか」をはかる指標として用いることができるのは、なんだろうか。
実は、これに関して僕はまだ「これだ!」と言える明確なものを持っていない。
もちろん、メールやコメントは指標の一つであることは間違いない。しかし、メールを送るとかコメントをつけるとかいった受け手からの能動的な働きかけがなくても、「どれだけ深く突き刺さったか」をはかることができるような指標が、あればいいなと思っている。ちょうど、「どれだけ広くいきわたったか」における、アクセス数や視聴率のように。
これまでブログを書いてきた実感として、ヒントになりそうなことをいくつか書いておく。
・共感には深さの段階がある。例えば、SNSボタンで共有(いいね!やリツイートなど)→記事に直接コメント→ブログ用アドレスにメール、の順に、共感は深くなる。「1件の重大事故の裏には29の軽い事故があり…」というハインリヒの法則みたいなものがあるかもしれない。
・はてなスターの数は、だいたい共感の深さを表す。ただし自己申告制。
・ページ別滞在時間、リピート回数(1人の人が一定期間に何回サイトを訪れてくれたか)、直帰率などは、「読み手のそのページに対する真剣さの度合い、この人が書く記事をもっと読みたいと思う強さ」を表しているかもしれない。はてなスターと違い、客観的指標。
・どれだけ嫌われているかをはかることで、どれだけ好かれているかを推測することが可能かもしれない。ファンが多いものにはアンチも多いという現象を逆手に取った考え方。昔、嫌われるコンテンツを作って、嫌われて生きよう。さもなきゃ無視されるだけだ。という記事を書いたが、そこで出てくる「物質と反物質」の話と同じ。ただ、僕の妄想にすぎないかも。
余談ではあるが、僕が広告会社でやりたいと思っていることの1つは、このような「深さの指標」の開発である。
みんなが同じメディアを見る時代ではなくなった以上、「ものを伝える」ビジネスには、届けるべき人に確実にメッセージを届けることが求められている。
だからこそ、会社は僕のような人間を採用してくれたのだと、僕は考えている。
(もちろん、従来の広告会社のビジネスであり、僕が現状どちらかというと苦手としている「広くいきわたらせる方法」を学ぶことも、やりたいことの1つである。)
アクセス数は、絶対的正義ではない。「今すぐアクセスアップできる10の方法」のような記事がネット上には無数に存在するけれども、それを必要としないブログのあり方も、僕は信じている。
もっと、「自分と似た人にメッセージを伝える」ことを目的として、ブログを書く人がいていいはずだ。
アクセス数以外のこともブログの存在意義になりうるんだぜってことを、僕は自分のブログを通して、世の中に訴え続けていきたい。