Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

飲みに誘われることによって鍛えられる、コミュニケーションの筋肉。

昨日はとある社内の方とさし飲みをした。

 

最近、先輩方に「お前さし飲みが好きらしいな。今度行こう」と誘っていただけるようになり、嬉しい限りだ。

 

さし飲みは誘う場合も誘われる場合もあるわけだが、僕の場合は誘われることが多い。自分から誘うのが苦手なので、「僕はさし飲みが好きです!」と普段から発信することで、相手が誘いやすくなるようにしているのだ。

 

ブログのプロフィールの欄にもひっそりと書いている。興味のある方はぜひメールくださいませ。

 

 

 

さて今日は「誘われることによって鍛えられるコミュニケーションの筋肉」について書こうと思う。

 

人に誘われることの特徴は、「相手をえり好みできない」という点に尽きる。

 

もちろん行きたくなかったら断ればいいのだが、僕の場合はさし飲みが大好きだと宣言することで、あえてその退路を断ち切っている。基本的に、誘われたら断らない。僕のポリシーだ。

 

「相手をえり好みできない」というのは、人によっては、メリットにもデメリットにもなる。

 

ただ、僕はこれを大きなメリットだと捉えている。それは、自分と似ていない人と話すことで、いろんな人の考え方や価値観を知ることができ、ひいては理解できる世界の幅が広がっていくからだ。

 

僕にも得意な人や苦手な人というのはあるが、「この人とは直感で話しても通じ合えないな」という場合でも、さまざまな角度から相手を理解し、また自分を伝えようと努力する。

 

これはある意味、コミュニケーションの筋トレをしているようなものだ。親や気心知れた友達相手に楽なコミュニケーションばかり取っていると、次第にコミュニケーションの力はやせ衰えてくる。筋トレと同じように、普段と異なる場所を、異なるやり方で曲げたり伸ばしたりするからこそ鍛えられるのだ。

 

その意味で、自分と感じ方や考え方の異なる人とさし飲みという形で数時間話し込むのは、非常に良い筋トレになると考えて間違いない。

 

 

 

筋トレのやり方は人それぞれだと思うが、僕がよく注目するのは「言葉の使い方」である。

 

人にはみな、その人に独特な言葉の使い方がある。キザな言い方をすれば、人は自分だけの国語辞典を持っている、と言ってもいい。

 

その人の言葉の使い方がわかれば、その人がどんな風に物事を捉えているのかがわかる。また、言葉というのは周囲の影響を大きく受けるから、周りにどんな人が多いのかということもわかる。その人の持つ語彙や、言葉の選択のしかたを知れば、どんな活字や文章に多く触れてきたのかもわかる。

 

例えば、インドのスラムに住んで「辛い」と言う人もいれば「超楽しい」と言う人もいるだろう。あるいは、同じような「好き」という恋愛感情でも、「大好きだ」と言う人もいれば「愛してる」と言う人もいるだろう。方言や業界用語、仲間内での隠語などは、その人の所属している集団の一つの象徴だ。今象徴という言葉を用いたが、僕と異なる人生を歩んできた人は、おそらく象徴という語を用いないであろう。

 

言葉は不完全なものではあるが、僕たちはそれを通して考え、意見を伝える。相手の国語辞典にどのような言葉が頻出し、その言葉にはどのような意味付けがされているのか。それを知ることができれば、相手のことを少しは深く理解できるようになるはずだ。

 

 

 

自分と直感で話し合える人は、確かに素晴らしい。話していて楽しい。

 

だが、世の中の多くの人とは、残念ながら直感だけでは通じ合えないし、僕らはそのような通じ合えない人たちと協力して、生きていかねばならない。

 

通じ合うのと、理解し合うのは違う。誰とでも「その気持ちわかる!」と通じ合うことは不可能だ。だが、「そういう考え方なのか」と理解し合うことはできる。

 

どうせなら、相手のことを少しでも理解して、この自分のことを多少なりとも理解してもらった方が、楽しいではないか。

 

コミュニケーションの筋肉を日々鍛え、少しでも多くの人の考えていることを理解していきたいと思う。