Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

「大企業かベンチャーか」という二者択一で考えるのは、即刻やめるべきだ。

みんな、「大企業かベンチャーか」という議論が大好きだ。インターネットでは、たいてい後者が良しとされているのだけど、たぶんリアルの世界で十分な数の就活生をランダムに選んで聞いたら結果は逆転するだろう。

 

大企業のほうが成長できるとか完全にウソ - Chikirinの日記

 

「大手を蹴ってベンチャー」という合理的選択 - イケハヤ書店

 

大企業とベンチャーのどっちに行くのが正解なのか、という問いの本質を理解するためには、字面だけ眺めていてもダメだ。単に大企業とベンチャーを比較した、浅い議論に終わる。

 

この質問が本当に問うているのは、「安定した場所で他人のために生きたいか、先の見えない場所で自分のために生きたいか」ということだ。もちろん、「安定した場所で他人のために」=大企業のイメージ、「先の見えない場所で自分のために」=ベンチャーのイメージ、である。

 

念のため断っておくが、あくまでこれらは「イメージ」だ。経営的に青息吐息な大企業、この先10年20年は繁栄し続けるであろうベンチャーといったものも当然あるし、本当にやりたかったことを思う存分できる大企業も、経営者のために奴隷のように働かされるベンチャーもあるだろう。

 

しかし、「大企業かベンチャーか」という議論をする時に、大企業には「安定志向でやりたいことはなかなかできない」というイメージが、ベンチャーには「波乱に満ちた、しかし自己実現が可能な」というイメージが仮託されていることは間違いない。

 

要は、「大企業かベンチャーか」という質問は、単に希望する企業規模や働き方を聞いているのではなく、人生観を問うている質問なのだ。

 

「あなたは、普通でいいのですか?それとも、夢を叶えますか?」と。

 

それはあたかも、「善」と「悪」とか、「楽観的」と「悲観的」とかいった対義語のセットのようだ。「大企業」と「ベンチャー」みたいに。

 

 

 

僕が気持ち悪いのは、そこのところだ。

 

生き方というのは、二者択一のどちらかに当てはまるものでは、決してない。

 

どれほど対になっているように見えたとしても、その二つの要素からそれぞれいくらかずつ持ち寄られ、混ぜ合わされている。それが、人の生き方だと思う。

 

大切なことが見落とされている。

 

「大企業なんて辞めてベンチャーに行け!」と背中を押されて、確かに自分のやりたいことが今の仕事にあるかわからなくて、でも大きな会社を辞められるほど強くないよ…と躊躇してしまう人のことを。

 

本当に人の生き方が二者択一で決まるなら、「この人は本質的に大企業向き(あるいはベンチャー向き)だ」ということが言えるのだろう。

 

でも、僕は違うと思う。

 

「自分のやりたいことをやるような人生には本当に憧れるけど、やっぱり今の安定した会社を辞めるという思いきったことはできないんだよ…」という、自己啓発書の著者が見たら鼻で笑うであろう情けない姿勢こそ、その人の生き方だ。

 

そしてそれは、僕の生き方でもある。

 

 

 

レールに乗るのか、それとも飛び降りるのか…。「よしっ、僕は飛び降りるぞ!」という思いで、僕はこのブログを書き始めた(ストレートで新卒入社するのは、ある種の人にとっては負け癖を付けることに他ならない)。

 

しかし、あれから何年か経って、「自分は、完全に飛び降りるのは向いてないな」と思うようになった。奇しくも、Rail or Flyというブログ名は、「レールか降りるか迷っている」自分を、的確に表現してくれるものでもあった。

 

そう。きっと昔の僕自身が、「レール的な生き方」と「そこから降りた生き方」という二者択一で、人生というものを語ろうとしていたのだ。

 

だが今「もしあなたが"Rail or Fly?"と聞かれたら何と答えますか?」と聞かれたなら、僕は迷わず「"or"です」と答える。英語的には間違ってるけど、この"or"こそが大切なのだ。

 

中途半端であることを無理に直す必要などない。自分が半端者であるということ、それを受け入れて、開き直ってやっていけばいい。

 

 

 

生き方をはじめ、人の価値観というのは二者択一じゃない。濃淡のあるグラデーションなのだ。

 

確かに、対義語で語るのはとても楽だし、わかりやすい。だからついつい僕たちは価値観を対にして、あたかもその二つしかこの世の中に存在していないかのように振る舞う。

 

それでうまくいく人もいるだろう。どちらかの価値観に大きく共感できるなら、生きることは容易だ。

 

だがもし、「どちらの価値観も理解できるんだけど、どちらの価値観にも心底共感はできないな…」と思ったら。「価値観はグラデーションである」ということを、考えてみるといい。

 

価値観に限っては、自分の感じることこそが王様。既存のものにぴったりカテゴライズされる必要など、ないのだから。

 

 

 

「やりたいことをやるために大企業を辞めた」という話がインターネットにあふれるこの世の中において、僕は「会社を辞めてまでやりたい熱いものなど持っていない」というスタンスで、これからも書き続けていきたい。

 

それこそが、僕の感じる「グラデーション」の濃度だから。