「雲のむこう、約束の場所」を観た。
この作品は、いわゆる「セカイ系」に分類される。主人公たちの身の周りの小さな人間関係の綻びが、世界の破滅とか終焉とかに直接つながっているような作品、Wikipediaの同名の項の言葉を借りれば、“主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれる”作品である。
はっきり言って、ストーリーは直線的だし、登場人物も純粋無垢すぎて感情移入できない。
僕個人の意見だけど、新海誠氏の作品のすごさは、ストーリーやキャラクター造形にあるわけではないと思う。
では何が素晴らしいのかというと、その神がかった映像美である。
いわずと知れた「秒速5センチメートル」、モノクロで展開されるショートフィルム「彼女と彼女の猫」など、彼の作品はいずれも映像面においてずば抜けている。
その映像の美しさを一言でいえば、「思い出の美しさ」になるのではないだろうか。
僕たち一人ひとりの心の中には、それぞれがこれまで過ごしてきた人生の思い出が存在する。
それらは、時間という目の粗いふるいにかけられて、次第に純粋な輝きを放ちはじめる。
僕は高校時代、野球部に所属していた。死ぬほどきつい練習も、先輩から理不尽に怒鳴られる経験もたくさんしたが、今覚えているのは、とても楽しくノスタルジックな思い出ばかりだ。
辛いことも嫌だったこともきっとその思い出の一部には含まれていただろうに、何年も経てば、そういったネガティブなことは抜け落ちて、ただ「あの時代は良かったなぁ」という思い出として、心に記憶されるのだ。
映像美が「思い出」的なものであることの象徴として、新海誠作品には「過去」を振り返る体裁になっているものが非常に多い。
「雲のむこう、約束の場所」でも、冒頭の5分間程度は主人公のヒロキの現在の描写があり、そこから次第に過去へとさかのぼっていくという構成になっている。
これはある意味、非常に小説的な映画だとも言える。
音楽、小説、映画などはその構造上「時間芸術」と呼ばれるが(対義語としては「空間芸術」がある。絵画や彫刻など)、その中でも小説は、ほぼすべての作品が「過去形」で語られており、「この作品は過去のできごとについて書いています」ということが極めて鮮明に読者に伝わる。
「美しい思い出」のような映像美と、そういった小説的な「過去形で語られる物語」とを目の当たりにして、新海誠氏の作品を観る人は感傷に浸ってしまうのだ。
いつもは自分の内側でしか感じられなかった思い出という風景を、視覚を通して外側から味わうことができる。
僕たちが新海誠氏の作品を観て「いいなぁ」と思うのは、そういった「思い出」を、もう一度自分の中に思い起こせるからではないだろうか。