Rail or Fly

レールに乗るのか、飛び降りるのか、迷っているきみに届けたい。

「どんな人と話しても楽しい」なんて、ありえない。

その昔、さし飲み対談を始めたばかりの頃だ。

「サカグチくんはいろんな人と飲みたいって言ってるけど、合う・合わないって絶対あるんじゃないの?」

「いえ、どんな人の話も面白いと思いますし、飲む相手は誰でもOKです」

そんな会話を、年上の方と飲んだ時に交わした。



あれから、いろんな人と出会い、飲んだ人の数が100人を超えて、思ったことがある。

誰の話も楽しく聴けるなんて、ありえない。そんなことを言うのは、相手を傷付けたくないか、自分を理解していないか、そのどちらかあるいは両方だ。

こんなことを書くと、「誰の話も楽しく聴けるなんてありえないとか、当たり前のことじゃないの?」と言う人もいると思う。

そういう人は、「自分はこういう人と話したい」ということが、元々はっきり決まっている人なのだと思う。

自分の趣味と合う人だとか、同じ経験をしたことのある人だとか、同じ夢を持つ人だとか、そういった、相手の「属性」によって話す相手を絞れる人は、「この人となら楽しく飲める!」と判断するのは簡単だ。

しかし、僕のように相手の「属性」にこだわらない人は、ついつい「どんな人と話していても楽しい!」と言ってしまう。いや、別に嘘をついているつもりはないのだ。でも、本当なのかと言われると、心のどこかで「ちょっとだけ違うんだけどなぁ」と違和感を感じていたりする。



では、僕にとっては、どんな人と2人でお酒を飲んだ時に楽しいと感じるのだろうか。

そのヒントは、相手の「属性」ではなく「姿勢」にある。

さし飲みに臨む「姿勢」として、人は3つのタイプにわかれる。

聴きたい人、対話したい人、語りたい人、だ。

聴きたい人というのは、自分の話はせず、相手の話をずっと聴いていたり、質問したりする人。

対話したい人というのは、相手の話を聴いて、その上で、自分の経験や考えを述べる人。

語りたい人というのは、自分が普段考えていることや、今相手と話していて思いついたことを、とにかく話す人。

さし飲みは、すべてこの3つのタイプの人の組み合わせとなる。

直感的に、うまくかみ合うのは、聴きたい人×語りたい人か、対話したい人×対話したい人、だとわかるだろう。



ちなみに、僕は昔自分のことを「聴きたい人」だと分析していたのだが、今ではそれは自分を騙していただけなのかなと思っている。

なぜなら、「語りたい人」の話を、聴いて聴いて聴いて…とかしていても、自分はちっとも楽しくなかったからだ。

「聴きたい人」だと信じ込もうとしていたのは、相手から嫌われたくなかったから、というのが大きい。

たいてい、人は話したがりだから、「僕はあなたの話が聴きたいです」というポーズを取っていると、あんまり嫌われない。(でも、好かれもしないんだけど。)

それに、僕は話を聴くのが決して嫌いでもない。

だから、自分は聴きたい人なんだと信じ込もうとしていた、のだ。

だけど今では、自分は対話したい人なんだなって思う。



「対話したい人」の特徴として、相手と自分に強い興味を持ち、お互いの話の共通点や相違点を見つけ出したり、相手や自分に対する新しい見方を提案したりする、ということが挙げられる。

趣味やバックグラウンドが異なっている人でも、根底では同じような考えを持って物事に取り組んでいたり、あるいは同じものが好きでも、違うところが好きだったり。そういったことを、あぶり出していく。僕にとって、さし飲みの面白さはこれである。



対話したい人同士の飲みは、例えばこんな風になる。

学生時代、ずっとオリジナルバンドをやっていた友達と飲んだ時に、表現ということについて話した。

友「そりゃ、スリーコードとか、お涙ちょうだいのバラードとかを作ると、聴いてくれる人たちのウケはいいんよ。でもそれは、自分たちのやりたい音楽とは違っていたりするんだよ」

僕「それはすごくわかる。ブログを書いていると、本当に伝えたいことを書いた記事はあんまりヒットしなくて、もっと実利的というか、キャッチーなことを書いた記事がよく読まれたりするんだよね」

友「表現というのは、何がウケるのか、何を伝えたいのか、その間をずっと行き来するものなんだろうなぁ」

僕「ところで、音楽が好きといっても、僕はメッセージ性のあるものがすごく好きなんだけど、君はそうじゃないよね?」

友「そうやね。音楽の作りだす雰囲気というか、気持ち良いという感情というか、そういったところを大事にしてるかな。サカグチは言葉を大切にしてると思うけど」

僕「そうやね、僕はインストはそんなに好きじゃなくて、言葉のある音楽が好きで、それもやっぱり邦楽が好きなんよね。君は洋楽のそれも激しい感じの音楽が好きで。そういう違いに表れていると思う」

いろんな共通点や相違点を、対話の中で浮かび上がらせていく。そして、相手や自分に対して新しい発見をする。僕はそういうふうにして人と飲むのが、好きなんだと思う。



最初から、自分がどんな人と話すのが好きかわかっている人もいるし、なかなかわからないという人もいるだろう。

僕なんか、何十人もさし飲みをしてやっとわかったくらいだから、個人差は大きいと思う。

でも、それが「属性」であれ「姿勢」であれ、「自分はどうやらこういう人が好きみたいだ」ということを知っておくと、その後の人生でいろいろと役に立つ。

おそらく最大のメリットは、「苦手な人をいち早く察知できること」だと思う。

プライベートの場であれば、「苦手な人を察知して、その人とは付き合わない」ということもできるし、仕事であれば、「苦手な人を察知して、どうやったら相手も自分も楽しむことができるのか考える」こともできる。

社会人になると、好きな人とばかり話してなどいられないだろう。苦手な人に対してどう振る舞えば相手も自分も楽しく過ごせるのかを考える力は、必要だと思う。

「私はこういう人間です」と語れるようになれたら、その大学生活には、意味があったと思う。」という記事を前に書いたけれども、「自分がどんな人を得意にしているか」を知ることもまた、「私はこういう人間です」と語るために必要なことだと思う。



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