昨日は、僕の住んでいるシェアハウスの住人たちや、彼らとはまったく面識のない僕の友人たちを集めて、飲み会をした。
まったく面識がない、と言っても、おそらくこの人たちなら一緒に楽しくお酒を飲んでくれそうだな、と思って招集した人たちだったし、事実、その目論見どおり楽しい飲み会になった。
僕の経験上、「僕とこの人はコミュニケーションの波長が合うな」と思った人同士は、たいてい仲良くなれる。敵の敵は味方、という言葉があるが、味方と味方もまた味方なのだ。
さて、楽しい飲み会ではあったが、同時にさまざまなことを考えさせられる飲み会でもあった。
特に、このブログのことだ。
「インドに行っていた頃の記事が、一番好きだ」
友人にそう言われた。
実は、同様のことを言われるのは初めてではない。
おそらくだが、このブログをずっと読んでくれている方の中には、同じことを思っておられる方が少なくないのではないかと思う。
参考までに、その頃の記事を載せておこう。
この頃のブログを読み返すと、論の流れを意識していなかったり、衒学的で冗長な部分が多々見受けられたりして、未熟だなぁと感じる。だが同時に、どこにもやり場のない熱を感じる。非常に内省的、内向きな文章なのだが、不思議と今の僕にもぐさりと届いてくる文章になっている。
さながらオーバーヒートしたコンピューターに触ろうとして思わず「熱い!」と手を引っ込めてしまった時のような、そんなこもった熱を感じるのだ。
「インドに行っていた頃の記事が一番おもしろい」というのは、友人に指摘される以前からもずっといろいろな人に言われていることで、 僕がずっと葛藤してきたことでもある。
このブログの過去ログを見ると、2012年の7~9月などは更新の頻度が極端に落ちている。その時期の少し前に、インド滞在を題材にした記事が期せずしてアクセス数を稼いでしまったりして、「これ以上のものを書かねばならない」というプレッシャーを勝手に感じてしまっていたのだ。
インド滞在とは関係ないが、2013年の5~9月も、更新頻度が落ちている。こちらもまあ、似たような理由だ。自分の中で納得のいく記事が書けてしまうと、そこに新たな記事を上乗せしていくのが怖くなってしまうのだ。
これが、ブログを書き続ける恐怖である。
ともすれば発信活動をギブアップさせられかねないこの恐怖に対して、僕はようやく、一つの解決策に辿りついたように思う。
それは、「昔の自分は他人だ」と考えることである。
2年前の記事を書いたのは、紛れもなく2年前の僕だ。その時から姿かたちもそう変わってはいないだろうし、もちろん戸籍上は同一人物として記録されている。
だが、生活する環境は大きく変わっているし、考えることも変化してきている。
僕は、他人が書いているブログに感動することはあっても、それと同じような文章を自分も書こうとは思わない。ビジネスではない、個人の趣味としてのブログだ。自分が気持ちいいと感じることを書くべきだろう。
同じように、過去の自分が書いた文章でも、それは他人の書いた文章なのだ。誰かから「あの人みたいな文章を書いてよ」なんて言われても模倣する必要などないのと同じで、過去の自分が書いた文章を下敷きにして何か書く必要などない。
もちろん、他人の書いたものから構成やタイトル、文章表現上の技巧など、参考になるものをどんどん取り入れるのと同じように、昔の自分が書いたものから学べるものは学んでしまおう。
ただ、その昔 違うタイプの人に、価値観まで破壊される必要はない でも書いたように、過去の延長線上に現在の自分があるという考え方はやめましょう、ということなのだ。
ほんの数日前、インターネットにこんな記事を見かけた。
インターネットの登場によって、人々の行動は蓄積され、「過去と現在との一貫性」がことさらに強調されるようになった。コンビニのアイスボックスに入った人間はインターネットの向こう側にいる無数の匿名の人間たちによってその個人情報を暴かれ、インターネットという空間において未来永劫消えない「失格者」という烙印を押されてしまった。
人に一貫性を求めるというのは、合理的な行為ではある。「影響力の武器」の第3章、「コミットメントと一貫性」にはこうある。
個人的に一貫しているということは、非常に望ましい性格特性です。一貫していない人は、気まぐれで、優柔不断で、軟弱で、軽はずみで、不安定な人と判断されてしまうことになるでしょう。一方、一貫している人は、合理的で、確かで、信頼のおける、健全な人であると判断されるでしょう。
(「影響力の武器」p. 135)
しかし、人間の本質は「変わること」なのだ。
インターネットの登場によって、「他人が一貫しているかどうか」は誰にでも容易に判断できるようになった。そして、「自分が一貫しているかどうか」をも、人は自分に問うようになった。おそらくは、一貫している方向が望ましい、として。
昔の自分と今の自分は違う。そう言いきるのは、この世の中にあって非常に難しいことかもしれない。
だからこそ、僕は「昔の自分も今の自分もすぐに見渡せてしまう」このブログというメディアを通して、人は変わること、変わらざるをえないことを、発信し続けていきたい。
昔書いたものなど、他人の書いた記事のようなものだ。
そう言いきって、今一番書きたいことを書き連ねてゆきたい。
今書きたいことを書くことにしか、僕が文章を書き続ける原動力は、ないのだから。
- 作者: ロバート・B・チャルディーニ,社会行動研究会
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