昨日は、SNSによって浮き彫りにされる「嫌われたくない」という気持ちとどう付き合うか、ということについて書いた。
結論は、「SNSは仲間をもたらしてくれる」という感覚を持つことだ、というものだった。
今日は、「嫌われるのが怖い」凡人でも自分の仲間をつくれるような、そんなSNSを開発したい、ということについて書く。
まず、僕がどうしてこのようなSNSを開発したいと思うようになったかを書こう。
僕は大学に入ってから、ずっと「自分は一人ぼっちだ」という感覚を抱いていた。
将来何がしたいのか、自分はどんな人間なのか…。そういったことが皆目わからなかった。
一方で、大学や大学外で出会った友人はみな、そんな悩みなど抱えていないかのように僕には映った。
サークルやバイトやインターンシップや…。自分が手を出せることには何にでも手を出し、さまざまな人と出会って話をした。
それでも、「自分は一人ぼっちだ」という感覚は、ちっとも消えなかった。
だから僕はブログを書き始めた。「お前は一人ぼっちじゃない」と、自分で自分を慰めるために。
ブログを通して、僕は多くの人たちと出会うことができた。
進路や人生についての似たような悩みを抱え、さらには身近にそういったことが話せる友人がいないことについても悩んでいる人たちが、想像以上にたくさんいた。
自分のために書き始めたブログは、いつしか「自分の向こう側にいる、自分と似た多くの人たち」に向けたものになっていった。
最近は、リアルの友人たちにも積極的にブログの更新を告知するようになった。それは、できるだけ広く知らしめなければ、このブログを知られることなく終わってしまう人たちがいるはずだと信じているからだ。
そうして、嫌われることを覚悟で多くの人たちに自分のブログのことを発信し続けていると、思わぬ収穫があった。
それは、僕が読者として想定していなかったリアルの友人たちが、僕のブログを読んであれこれ批評してくれるようになったことだ。それも、厳しくも温かい言葉で。
そして僕は確信したのだ。
自分自身とはどういう人間で、どんな人生を送りたいのかを発信し続けていれば、多くの人が自分の味方になってくれるのだと。
勝手に「この人は自分の仲間にはなってくれない」などと発信もしないうちから諦めていると、その人と一緒に何かやれる千載一遇のチャンスをみすみす逃してしまうことになってしまうのだと。
君は、一人ぼっちじゃない。
君の悩みや葛藤を、自分を大きく見せようなどと思わず率直に吐き出せば、周りの人たちは必ず味方になってくれる。
一人ぼっちだなんて、自分で勝手に決め付けちゃいけないんだ。
僕がSNSをつくりたいと思ったのは、こうした理由からなのだ。
かつての僕のように、自分は一人ぼっちだと思い込んで、どこにも自分と話のできる人はいないと諦めてしまっている人が、仲間をつくれるツールがあったらいいなと思ったからなのだ。
言い切ってしまうが、これは凡人のためのツールだ。
周りから「良い大学に行って、志望した企業に入れて、理系なのに文章も書けて語学もできるお前が凡人なはずはない」などと言われることもあるけれども、僕は「世界をこう変えたいんだ」と目をキラキラさせて語れるものなど何も持たない、ただの一般人である。
貧困問題の解決でも、アップルのような画期的な商品開発でもなんでもいいが、尖っている人、凡人ではない人というのは、それだけで仲間を集める磁力を持っている。
僕は、そういう人たちのようには、一生かかってもなれない。
だから、葛藤する。自分が信じ切って語れるものなど何もないから、「嫌われてもこれをやるんだ」と言い切れるものなど何もないから、自分自身をSNSでさらけ出すことにずっと悩み続ける。
そんな人たちが、それでも自分の考えていることを発信して、仲間になってくれそうな人たちだけが残ってくれるようなツールがあれば、それぞれの人の人生は素晴らしいものになる。
今、僕が味わっているようにだ。
具体的には、かつてのmixiのような形を想定している。
つまり、文章メインのコンテンツを、各ユーザーが好き勝手に生み出すSNS(CGM:Consumer Generated Media)である。
なぜmixiか。それは、普段僕が文章を書いていく中で、「mixiはすごい」と改めて感じるためだ。
推敲も何もしていない書きなぐりの文章を、たくさんの友人が読んでくれる。
ブログを書いてTwitterとFACEBOOKで告知しても、実際に読んでくれる人はフレンド数に対して非常に少ない。
しかし、かつてmixiが全盛だった頃を思い出すと、日記を書いた時に足あとを付けてくれる友人の割合は、全フレンド数に対して非常に高かった。
その「リアルな友人が読んでくれる率の高さ」が、mixiのすごさである。
しかし、それだけではmixiのただのコピーである。
僕が考えているSNSには、mixiやその他のSNSには決してない機能を実装する。
それは、「仲間になりそうもない人は、勝手にフレンドから外れていく」という機能だ。
昨日の記事で明らかにしたように、昨今のSNSでは、ユーザーは否が応にも「嫌われたくない」という自分の気持ちと向き合わねばならなくなる。
僕がそうだったように、凡人が「嫌われたくない」という気持ちと戦って、それでもなんとか発信を続け、仲間になってくれる人が出てくる段階まで行くのには、途方も無い時間と莫大な労力がかかる。
FACEBOOKやTwitterでブログの告知をするのがためらわれるのは、今の自分とほとんど交流のない人や、読んでくれそうにない人に対しても、自分のコンテンツを押し付けているように思ってしまうからだ。まさにプッシュ型広告の形で。
ではと思って勝手にフレンドを外すと、「何で外したの?」ということでトラブルになる可能性もあるし、何より上で書いた「仲間になってくれる可能性」をみすみす逃してしまう。
リアルの人間関係でこのような軋轢があまり生じないのは、気の合わない人とは「フェードアウト」したり「自然消滅」的な形で関係が途絶えたりするからだ。
このSNSには、そういったリアルの人間関係から得たヒントを反映させる。
はじめから「何度かコンテンツの告知を目の前に出現させて、仲間になりそうになければフレンドから外します」という仕様にする。
リアルの人間関係の絶妙さと、インターネットという人の内面が見えるツールの良い部分を、組み合わせるのだ。
どうやって「仲間になりそうかどうか」を判定するかだが、これには、僕がずっと考え続けている「共感の深さ」の指標を用いる。
と言っても「共感の深さ」を測定するのは非常に難しい。ページ滞在時間が代表的な指標となるだろう。また、「ページスクロールの頻度」が一定かつそんなに早くなければ、しっかりと文章を読んでくれている指標になるか…と思ったのだけど、スクローリングという行為はサーバーに入力されないらしいのでどうやら難しそうだ。
ウェアラブルデバイスが出てくれば、人の視線を読み取って「コンテンツへの共感度」を直接測れるようになるだろう。
とにかく、このあたりはまだ考え中である。
「嫌われるのが怖い」凡人が、自分の仲間をつくれるSNS。
今はまだ妄想に過ぎないが、もっともっと仲間を集めて、このSNSをつくりたい。
そして、昔の僕を助けたい。
尖ったものなど何も持たない普通の人間が、それでも納得のいく素晴らしい人生を送るために、こんなSNSがあったらいいなと思っている。